塩畑(ソルティー)です。
茨城・栃木の社会教育主事講習に今年も携わらせていただき、参加者の感想を見させてもらっています。
皆さんの感想から、「気になったワード」があるので、それを踏まえつつ、自分も感想を書かせてもらおうかと思います。
まずは
「社会教育は無駄が多い」
です。
⭐ 社会教育は無駄が多い
社会教育にはカリキュラムはありません。
誰かが狙いを持っているとしても、それを体系立てて「こう教えていこう」と毎年同じ内容にしていくことが少ないと感じます。
そう思うと学校教育はいろんな専門家が集い、カリキュラムを作っていくので、無駄がなく、洗練され、効率が良いでしょう。
しかし、社会教育はこの無駄に感じるものにこそ意味があると感じています。
無駄とは生きる余白、人生の楽しみとも言えるものであり、この部分がなくなるとまるでロボットのように楽しくない人生になるとも言えるのではないかなと思うのです。
最近は『コスパ』、『タイパ』など効率化を最も重視するような流れになっています。もちろん、それは悪いことではありませんし、大事なことだと思います。
でも、敢えて無駄を作る。
その無駄こそが人生の醍醐味であり、大きな学びに繋がる部分ではないかと。
社会教育はこうした無駄を徹底的に学び尽くすためにあるものであってほしいと思うのです。
⭐ 人生は無駄があるから楽しい
僕は人生、無駄があるから楽しいと思っています。たとえば、趣味などはその代表格でしょう。僕が楽しいと感じるのはカラオケです。
カラオケとはよくよく考えてみると無駄だらけです。
わざわざ大声を出しに、疲れにいって、その行為に対してお金まで払うんですから。
さらに最近は自分の歌に点数なんて付けられちゃって、効率を重視したら正気の沙汰とは思えません。
でも、これが楽しいのです。
わざわざ疲れるために大声を出す。そのためにお金も時間も使っても良いと思えるのだから不思議ですね。
カラオケの点数だって、接待モードなんてものがあり、どんな風に歌っても90点を保障してくれる隠れコースがあります。
でも、普通にカラオケに行ったら絶対に使わないモードです。だって、保障されちゃうからです。
自分の歌声を上手くしようと思って、テクニックを磨いて、工夫して…、その成果が結果として点数に出てくるから楽しいのです。
「90点を確実に取れるよ!さぁ、歌ってみて!」
これで騙せるのは普段歌わない人がお酒をガブガブ飲んでいるような人。まさに接待です。
普段からカラオケを利用する立場だと、90点を保障されてもまったく嬉しくありません。
90点を取れるようになった過程に意味があるからです。
そして、学校教育では「カラオケで100点を取る方法」なんて習いません。
でも、社会教育の講座では、「カラオケで100点を取る方法」という講座は結構人気で、老若男女が集まります。
まさに無駄です。でも、その無駄が人生を豊かにしてくれるのです。
⭐ 社会教育には効率化を求めないで自由に
公民館などの社会教育施設での講座はいろんなバリエーションに富んでいます。
僕はこれが素晴らしいことだと思います。
まさに『学校ではできない学び』と言っても良いでしょう。でも、そこに人生が豊かになるヒントがあります。
学校教育では誰もが通うことになり、学ぶ権利が保障されています。
でも、その代わり『学校には必ず誰もが行くものだ』という意識が植え付けられてしまいやすいなとも感じます。
社会教育ではお金を払って学ぶかもしれないし、必ず人が集まるとは限りません。その代わり学び方は自由です。どんな風に学んでもOKなのです。
もちろん、これはどちらがより優れているか?ではなく、両方大事。同時に存在しているからこそ、よりお互いの良さが際立つのかなとも感じます。
これからも社会教育は効率化を敢えて求めず、いろいろと自由に学べる形を作り続けてほしいなと思います。