こんばんは!

教員支援ネットワーク T-KNITのいがぐりです。

普段は私立の中高教員をしており、毎日ブログを書いております。

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皆さんは不登校の児童生徒に対してどのような印象を持たれるでしょうか?

近年、不登校児童生徒が数年前と比較して増えているのは、ご存知かと思います。

さまざまな方面の専門家がこの問題に対して、論じていますが明確なこれといった一つの理由はないのでしょう。

いま、改めて不登校というものについて一教員が考えます。

🏡なぜ、不登校が起きるのか?

そもそもなぜ不登校児童生徒はあとを絶たないのでしょうか。

私にとっての学校は毎日が楽しく、友人と出会え、遊べ、テニスができ、適度に学べる最高の場所でした。

中高時代の自分からすると、学校に行かないという選択肢はそもそも見えなかったので、当時同じクラスにいた不登校の友人に対しても不思議でたまりませんでした。

こんな私なので、不登校について語るとなると「知らんくせに」とか「分からないでしょ」と思われるかもしれません。

実際、当事者の気持ちは分かりません。

でも、その気持ちを共感しようとすることはできます。

だから、いまこのように共感に励んでいるのです。

では、そんな私がなぜ不登校が起きるのかを考えるのか。

それは、不登校が起きるのは環境が問題だと思っているからです。

そして、その環境の主たる場は学校だからです。

👔今の生徒になってみよう

自分にはその感情が分かりません。

だから、理解はせずとも共感をしようとすることはできます。

共感のためにはやはり対話が必要なのかもしれません。

私も教員になり、いわゆる不登校と言われる生徒と何度も話してきました。

おそらく「この子は不登校だ」というレッテルを貼らない限りは、よっぽどのことがない限りそのことにも気づかないと思います。

それほどまでに彼らは特に何か問題があったりするわけではなくに、日々過ごしているのです。

自分自身が学校の一生徒として考えてみましょう。

今はどんなことでもネットで調べればすぐに出てくる。

欲しい情報は無限に手に入る。

やりたいこともほとんど全てがやろうと思えばできてしまう。

そんな中、やることが決められていて制約の中で、好きなことができない学校を選ぶのでしょうか。

学校に友人がいなかったり、遊ぶ場所がなかったり、他者と関わる時間がなければ絶対に行かないだろう。

そう思ってしまいます。

🙋‍♂️子ども視点で考えよう

そもそも、我々大人視点で考えるから理解ができないのでしょう。

私たちにできるのは、ただ子どもの成長を後押ししてあげること。

それを考えると場所なんてものは二次的なものであって、本来は本人のやる気や意欲の方がよっぽど大事なものになるはずです。

意欲的なものを見つけていくために、環境をまず整えるのか、人の内面を整えるのか。

これには2通りあると思いますが、やはりどちらにしても大事なのはコミュニケーション。

コミュニケーションが大事といっても、子どもから大人へ関わりを自ら持とうとするのはハードルが高いはずです。

少しでもいいから、大人から子どもへコミュニケーションの機会を増やしていく。

子どもも大人も互いを通して、その相手から見える社会を理解する。

これこそが今の学校に馴染めない生徒にとって必要な考え方なのではないでしょうか?