私達、教員支援ネットワーク T-KNITでは教員支援を行っています。
しかし、教員支援を行うと一口で言っても支援にはさまざまな方法があり、また教員の悩みもさまざまです。
ここではどんな悩みに、どのようにアプローチするのか?をお伝えしていきます。
教員支援を行う必要性
まず、教員支援を行う必要性ですが、現場を通して3つの側面があることが分かっています。
教員の心が壊れかけている
(40代)
毎日子どもたちに6時間つきっきり、空き時間がありません。もし、空きができたとしても専科あります。休み時間、給食も、掃除も子どもたちを見ています。あれは教員にとって休み時間じゃない。指導なんです。
トイレも基本は放課後まで行けません。職員は膀胱炎になる人、本当に多いんです。
それでいて、古いものをずっと続けて、新しいことはどんどん始まっていく。見直しとかをするってことが苦手なのかもしれません。
「ちょっと見てて」という人がいないので、「休めない」と暗示をかけちゃってるかもしれません。
職場環境の風通しの悪さや、圧倒的な作業量により心身ともに疲弊し、教員の心が壊れかけています。
主にこのような課題があります。
- 改善されない業務効率の悪さ
- 教師間の交流(風通し)の悪さ
- マネジメントのない職場環境
- 職場内年功序列の上下関係
- ビジョンがなく、組織が形骸化している
- 新しい取り組みを取り入れるための組織体制がない
- 学校運営の形骸化を問い直す環境がない
これにより発生するのが教員の対応もずさんになったり、意義を見いだせなくなって仕事の質が低下しています。
- 授業準備に思うように時間をかけられない
- 教員自身が勉強する時間がない
- 児童・生徒の対応と個別最適化への移行がスムーズにできない
- 保護者対応(PTA等含む)とクレーム対応を負担と思ってしまう
- 地域や外部団体との調整対応(自治会、ボランティアなど)が面倒だと感じる
- アドバイスを批判と受け取ってしまう教員自体のマインドが下がっている
人同士の心の乖離が進んでいる
お互いの話を聞いて、まとめてみるとお互い相互理解がとても足りないと感じています。
学校・教員側の意見
(30代)
「寄り添ってやっていきましょう」って言われても、何か意見を出すたびに怒られて、周りにあれこれ詮索されて、外堀を埋められたんじゃたまったもんじゃない。だったらいないほうが良い。
学校に対して保護者の圧力が強くなっているケースが増え、学校・教員と地域・保護者の相互理解が薄くなっています。
ちょっと学校側で改善しようとすると「何か言ってくるので何も言えないし、何もできない」という方々が増え、基本的に外部の方(保護者)とは何も協力したくない。話したくないと感じています。
また、このような相互理解がなく、一方的な要求を言われるだけの関係になりそうなので、面倒だと感じ校長にもなりたくないと思ってしまう。
というのが学校の本音の声です。
地域・保護者側の意見
(50代)
寄り添ってやっていきましょって言っても、何も意見を言ってこない。そういう態度にイライラして怒りたくないけど、怒ってしまう。
本当に仕事してる?教育ってなんだと思ってる?子ども好き?なんのために校長(先生)になったの?って問い詰めたくなる。本当はどうでも良いんでしょって思う行動しか見えてこない
拒否反応が強くなった教員は保護者の負担を考えられなくなっており、話し合いの場も設けられず、一方的に決められてしまって、保護者から負担の声があがってしまうという悪循環に陥っています。
地域・保護者側すると教員は上から言われたことを考えもなく、実行しているだけのようなイメージになっているようです。
「子どもたちが良くなるなら歓迎だけど、先生たちが楽をしたいだけでしょ?」
という先生を楽にさせない空気も感じられました。
このようになった原因は
何かできることありますか?って聞いても何も言わないし、そそくさと退散してしまう。話し合う気がなさそうに見える。だから、もういいやってぶん投げるしかない。
差し伸べられた手を払い除けたり、逃げたりしてしまう教員の非協力的な態度が敵を作っているというのが保護者側の意見でした。
子育て支援はあっても教員支援はない
(50代)
PTAには本当にお世話になっています。いないと困る存在です。ただ、すべてを任せられる時ばかりではありません。セキュリティの問題があるので、ボランティアします!って言われても信用できる人しか入れられないな…っていうのが正直な感想です。
他にはオンライン授業でいろんな人を呼んだり、海外の子どもたちと繋がった授業をしてみたい…のですが、正直どうやってその人たちと繋がったら良いかが分からないです。
教員支援をメインで行っている団体はあまりありません。(まったくないワケではないですし、個人で行っている人はいます)
なぜかというと、お金がなかなか出ないからです。
そのため、幸せの連鎖から外されてしまうのが教員や、学校なのです。また、教員を対象とした助成金・補助金もありません。
さらに、PTAや教育委員会が足かせになっているケースもあります。
このような現状にトラウマを抱えてしまい、地域・保護者側が助けたいと思っても、学校・教員側がなかなか信用してくれず、踏み込みすぎるとモンスターペアレントと言われてしまうことも多々あります。
子どもの支援ではなく、大人を支援をする理由
僕たちは子育て支援という目的ではなく、教員支援をメインに掲げています。その理由は3つあります。
外部が関われるのは表面だけ、一部だけ
(40代)
直接的な支援をもらいたいと思っていても、いざ専門家が「助けますよ。何かありますか?」と言われると、こっちが困ってしまう。自分たちも何をどこまで渡して良いのか把握しておらず、個人情報や、セキュリティの面もあるので、近所の人や、素性の分からない人にお願いすることはない。
(40代)
ボランティア的支援をもらいたいと動いていると、各連携機関と連携を取っている自分のところに業務が集中してしまう。結果的に全体としてはよくなっているものの、課題を1手に引き受けている自分のところは相当な忙しさを感じている。
(30代)
「お願いしますよ」という言葉はこちらも「申し訳ない」という気持ちが先に入ってしまいます。ボランティアがたくさん入ってくれることはありがたいのですが、学校には予算がそこまでないんです。お金を渡すことができない分、迷惑をかけないようにとか、接待しようと気を遣ってしまい、一過性のボランティアが来れば来るほど逆に疲れてしまう現状があります。
このような声をいただいています。この原因は個人で、ボランティアで、一回限りという体制だとこのような声が出やすいことが分かっています。
だからこそ、私たちは法人で、持続可能な支援体制ができないか?を模索しています。
子どもたちのため!をやればやるほど学校現場とズレた支援になる現状
(30代)
学校はとにかく行動が遅いと思っています。なので、自分たちで子供たちへのイベントを行っています。そのイベントの時はとても喜んでくれて、何かが変わった顔つきになった子もいました。ただ、学校にしばらく行って戻ってくるとまた元気がなくなっていました。一体何があったのか…。
(50代)
子どもたちに何かしてあげたい!と思うのですが、正直、今やることがない。コロナのせいで集まってイベントなんてできないし、学校も「外部の人は入ってこないでください」なんて言われてしまって、もっと根っこから変えないとずっとこのままかもしれないって思います。
(20代)
教育業界には「子どもたちのために」という合言葉があります。気持ちは分かるし、実際にそうなのですが、正直、この言葉を言えば何でも許されるんじゃないかって思う時も多いです。どれだけ辛いことや、大変なことがあっても頑張ろう!って自分の気持ちがついていっていないのにできません。
ビジョンもなく、この言葉だけが先行する時が教職員も地域からもあがりやすい。そういう時はずっとは続けられないし、続けたくないって思います。
子どもたちを助けよう!と支援をすればするほど、一過性のイベントに偏り、根本的な支援からは遠ざかっていくようです。
だからこそ私たちは大人が輝けば子どもたちが輝く!をモットーに大人の支援、メインは学校の先生の支援を行っています。
誰も敢えてしようとは思わない
(40代)
もちろん、学校がやばいって知ってますよ。でも、私達と関わろうって意識がそもそも薄いし、お金も出てこない。要は費用対効果が最悪なんです。ずっと支援し続けるにはお金が必要です。だからこそ、私達は学校ではなくて、保護者にお金を出してもらうという方法を取っています。
(30代)
学校は無料じゃないと…って文化が強いんですよね。そもそもの報酬規定があるのですが、それが低すぎるとも思います。すごく有名な方だったとしても1〜3万円の講演代なんてザラです。教員は価値にお金を出すという意識が分からないかもしれません。
(40代)
「これやってくれませんか?」って言われることはとても嬉しいし、ありがたいなーって思って受けてたんですが、要求がどんどんエスカレートしてくるんですね。「無料じゃちょっと…」っていうと、「他の方の時は受けられましたよ!」ってこっちの気持ちを無視してゴリ押しされた時もありました。う〜ん、やりたい時にできないのはちょっとつらいなぁ。
教育をより良い方向にしたい!って考えている方は本当に多くなりました。しかし、教員を助けていると明言している団体はそれほど多くありません。
理由は続けられないからです。学校には予算があっても教員自身の裁量で使えるお金はそれほど多くありません。また、教員自身が「教育にお金をかけるなんてとんでもない」という意識があるようで、なかなか自分たちのお金を投資するということをしていないようです。
しかし、だからこそ、学校に対して正しい価値の循環のさせ方を伝え、理解してもらうことは非常に大切だと考え、教員を助ける活動を展開しています。
教員支援の種類
教員支援の種類には2通りの支援方法があります。これはどちらが大切ではなく、どちらも大切です。
対処療法
(40代)
学校現場はスクラップよりもビルドが得意で、前に行っていたことをほとんど捨てずに新しいことを始めてしまう…という印象が強いです。また、それを覚える時間もない上に教員のなり手も減っています。
部活もあって、その後に授業準備。土日も出勤しているような状況。一生懸命やらないと周りからクレーム。提案もすべて却下されたりもあります。一体どうしたらここから抜け出せるのか?ばっかり考えるようになってしまいました。
対処療法は教員が直近で困っているニーズのある仕事です。この対処療法を行うことで教員にわずかな余白が生まれ、教員自身の生き方、在り方を考えたり、教育方法のアップデートなどにつながるキッカケが生まれます。
- 校務支援
- 授業支援
- ボランティア派遣
- 人手不足の解消
- 働きやすい職場環境の構築
課題とすると、これだけを行っていても先生自身が幸せを感じることはほとんどなく、依存関係になりやすい点が挙げられます。
根本治療
(20代)
教職員組合に参加しています。教育の労働環境の改善をしていますが、私自身も小学校の担任をしているため、どうしても学校業務を早く切り上げて、教職員組合に参加している現状です。
提案が例年通り…みたいになってしまっている現状があります。現場の声を拾い上げきれていないので、「これで役立つかな?」「役立つでしょ〜」って内部で決めちゃってる感じで、現場の本当のニーズとズレてる気がしています。
根本治療は教員が困り感を感じていないが、社会全体に影響を与える可能性が大きい仕事です。この根本治療を行うことで教員一人ひとりの人生が変わったり、幸せの感じ方が変わったり、自律的な意識を持てるようになります。
- 働きやすい人間関係の構築
- 教員一人ひとりの意識改革
- 特色ある学校づくりとビジョンの策定
- 地域と共に創る学校づくり
- 教員一人ひとりの軸や、目的の設定
課題とすると、多くの時間的コストがかかったり、成果が見えにくい点が挙げられます。
私達が考える教員支援
このような教育課題に対して、私達が行う教員支援は主に3つです。
学校の先生自身がイノベーションを起こす勇気の火を灯せるように支える
(20代)
スーパー先生って言われる方が入ってきて、話をしてみたら、すごく意気投合しました。そして、その人も人間だと感じ、負けていたのは『自分の気持ち』だったと反省したんです。
そして、その人と一緒に仕事をすると自分もチャレンジしたい!って気持ちになって、うまく行くか分からないこともどんどんチャレンジするようになりました。結果、すごく働きやすくなりました。
また、他の教職員の方も僕たちの取り組みを見て真似したり、自主研修に参加してくれたり、今までとはなんか違う。これから変えられるって気がしています。
(30代)
教員って実は裁量権がいっぱいあるんだって知らない人が多いようです。校長しかできない、教育委員会がやってくれないから、国が制度を整えないから…。
これは全部言い訳だなって最近思います。だって、僕なんてただのイチ教員なのに学校改革をできているんですから。実は僕たちのような何でもない教員は立場が上の人を動かす権限を持っているんですよ。
そのためにたくさんの仲間作ったり、知識を取り入れたりしましたけど、やっぱり「周りじゃなくて自分がどうするか?」じゃないかなって思いますね。
イノベーションは私達が起こすのではなく、現場の学校の先生たちが起こす。なぜなら教育現場の状況によって、解決法が違ったりするからです。
そうした時、一律でこうしたら確実にうまく行くというケースはほぼありません。
であるならば、先生たち自身が「自分たちの学校は自分たちが変える!」という自律的な意識を持つほうがどんな学校だったとしても変化する可能性があります。
対処療法も大切ですが、志を持ち、自律的な考え方ができる教員は一番強いなって思います。
次々に学校改革を行っている公立学校の教員の先生を見ていると、テクニックはさることながら、マインドが違うと感じています。
そもそも「できない」ではなく、「どうしたらできるか?」という視点で物事を見る。
そのような本質を知り、根本的解決に向かえるような教員をたくさん作り出していきます。
先生を助けたいと思う人を増やす
(40代)
保護者も手助けしようかなって思うこともあるんです。でも、最初はなかなか大きなところに入れないのが学校です。そうした時、本当は「地域と学校を繋げるコーディネーター的な役割が必要だ」って思ってできることから行動をし始めました。
ほんとに最初はできることから…草刈りとか、見守り活動とか小さなことからはじめて、そのうちいろんな会議にも顔を出すようになって、女性で初のPTA会長となったりもしました。
先生をまくしあげるのではなくて、先生たちがどうして先生になったのか?今後、学校をどうしていきたいか?って想いから聞いたりして、今では先生たちとも本音で話せる関係性を作れました。時間はかかったけど、確実に前に進んでいると実感します。
学校の先生を変えるだけでなく、地域・保護者も進化していく必要があります。
そもそも、学校は先生だけで成り立っている場所ではありません。それは広い目で見れば、地域の中の教育担当部門が学校というだけなのです。
教育は本来、家庭で行っていくものでした。それを学校という場所にお任せするようになった。それを学校と協力して、一緒に子どもたちを育てていくことができなかったり、保護者が学校に文句を言うだけというのはおかしな話なのです。
地域・保護者も子どもたちの見本となり、先生たちと一緒に子育てをする。
そのように先生を助けたいと思い、一緒に教育に参画してくれるような地域・保護者を増やしていきます。
公立学校(日本の教育)を変えようと頑張っている人を支える
(30代)
理想の学校って民間が作り始めたじゃないですか。正直、あれは怖かったです。公立学校から子どもたちがいなくなっちゃうんじゃないか…、そして今後自分に仕事はあるのか?って思い悩んでいる時、貧困家庭の方と面談したんです。
「お金がないから行けるわけないじゃない」って言われてハッと気付かされました。行きたくても行けない人がいっぱいいるんだって。
だったら、私たち公立学校の役割ってとても大きいし、諦めちゃいけないなって。そこから学校現場に働くことに意義ができて、見える世界が変わってきました。まだまだ伸びしろいっぱいだ!って思って、理想の学校があるなら、それを真似して改革も自分のできる範囲からやろうって始めたのがキッカケですね。
今は民間が理想の学校を作り始めているケースも増えましたが、公立学校こそが未来の日本の姿を形作るかもしれないと思っています。なぜなら多くの子どもたちは公立学校に通うからです。
むしろ日本の教育は海外から見ると素晴らしいと言われることもたくさんあります。
- 犯罪率の少なさ。落とし物をしたら戻ってくるのが驚いた。
- 日本の人は誰もが読めるし、書ける。これはすごいことだ。
- 日本人は物を大切にしている。リサイクルだけでなく、物に名前をつけたり、まるで生命があるかのように扱うのに驚いた。
- 日本は何も言っていないのにこっちがやってほしいことを察してくれる。それをほとんどの人ができるんだから不思議だと思う。
海外の教育の素晴らしい点だけを追い求めてしまっている気がしますが、日本の教育自体にも素晴らしいと思う点がたくさんあります。
その上でできていないのは『自律的な人材を生み出すこと』。
つまり、志や、軸、どのように生きていきたいか?を考える力や、自己肯定力が圧倒的に少ない。その点ができるようになれば、他のどの国にも負けない教育ができあがるのではないか?と考え、支援の対象を公立学校をメインにしています。
その上で、名は知られていないけど、「日本の教育はより良くなれる!」と信じて素晴らしい取り組みをしている方は先生にも、地域にも、保護者にもたくさんいます。
そのような人たちの取り組みや、生き様、在り方を広く伝えています。
これにより、実践をして働きやすくなったり、生きやすくなった方を身近に感じることで「私にもできるかもしれない」という火が燃え移る可能性が大いにある。私達はそのような自律的な人材を生み出すための活動もしていきます。