子どもと触れ合う中で、つい教えたくなることはないですか?

僕自身も親として「これはね、こうすると良いんだよ」なんて言ってしまいたくなる時もたくさんあります。

でも、それをしてしまうと、子どもはなかなか学びが定着しないんだなって思うのです。

教えたことをすぐ

「じゃあ、今、教えたことをやってみよう!」ってなると

「え、全然できない」
「やっぱり分からなかったです」

なんてことはたくさんあります。

つまりどういうことなんだろう?って思わせることがめちゃくちゃ大切なんですね。


今回はRinrinさんのラジオから
『子どもが学び方を学ぶほうが大切』ってことをお伝えします。

ラジオのURLを置いておきます。

「あぁ、しまった。学びの芽を摘んでしまっているかも」って考えながら聞いてみてくださいね。

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問いの中身を大人が決めつけない

人間は「問い」があって始めて考えます。

とあるたとえ話をします。

1+1ってなんだろうね?って学校でよく出てくると思います。
これは小学校1年生の算数の問題です。

「2だよ!」って多くの子どもは答えます。
ひねくれた子は「田んぼの田」って答えるかもしれません。

でも、とある子が
「え、どうして1+1で2になるの?」って考え始めます。

多くの人は2だよ!って教えてくれます。
でも、その子だけはなぜ2になるのか?という問いが頭から離れません。

そして、先生も保護者にこう言います。
「どうして2って分からないんだ?お母さん、もしかしたらこの子は障害を持っているかもしれません」って言ってしまいます。

「そんなどうしてうちの子が…?とっても理解が早くて天才だと思っていたのに!」と嘆いてしまいます。

その子は2年生になっても1+1で悩んでいました。
なぜ2になるんだろう?みんなはどうして2って簡単に答えが出せるんだろう?

そして、2年生の担任の先生は彼の悩んでいることに気付きました。
「うん、君は『1』というものが本当に1なのかを表すことができないって考えていたんだね。確かにそう。1とは簡単に表せられないんだ。」

子どもはびっくりした顔をします。
「え、やっぱりそうだよね。簡単じゃないよね!りんご(1)+犬(1)は2じゃないよね!?」

そして先生は続けます。
「そう、すべて同じっていうことを表すのはとっても難しいんだ。だからみんなには難しいから確実に1だよって定まっていることにして計算しているんだよ。それだったら分かるかな?」

子どもは分かったような顔をします。
「そうかー。そんなことで僕は悩んでいたんだね。」

そして、先生はこう続けました。
「1である証明をする計算って、実はとても難しい問題なんだ。これは大学の入試でも使われるんだよ。1+1を証明した上で2にしなさいってね。君はそれほど難しい問題に気付いたんだ。もしかしたら数学の天才かもしれないね。」

子どもは嬉しそうな顔をしてこう答えます。
「そうなんだー!数学って面白いね!僕は数学者になるよ!」



主体的で対話的で深い学び

普通に2って答えられない子どもはもしかしたらすごい才能を隠しているかもしれない。
分からないって問いが生まれている時、ものすごい思考が生まれている。

分からないで今まで自分が信じていたものが崩され、分かった時に新しい自分が再構築され、より大きな自分に変わる。

1+1は2じゃないんじゃないか?というのは主体的な問い
2年生の担任からの導きは対話的な問いです。

そして子どもは深い学びへと到達しました。

これが主体的・対話的で深い学びの真髄とも言える学びなのかと思います。

ちなみにこの数学者を目指した少年はまさしく天才でした。
なぜならこのストーリーは相対性理論を考えだした、アインシュタインのストーリーだからです。

芽を摘んでしまう大人になるのか?
芽を育てていける大人になるのか?

それは言葉がけでも大きく変わるなと思います。

ではでは、今日もお疲れ様でした。明日も素敵な1日を。

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