こんばんは!
教員支援ネットワーク T-KNITのいがぐりです。
普段は私立の中高教員をしており、毎日ブログを書いております。
よろしければ、ご覧ください。
みなさんは特別支援教育や特別支援学校をご存知でしょうか?
特別「な」支援ではなく、特別「に」支援。
今日はこの特別支援教育について考えていきます。
⏳特別支援教育の歴史
日本においてはその土台となる学校のようなものが1900年以前に作られていました。
盲唖院という目や耳の不自由な子どもたちの生活の場となっていました。
その学校のあり方がが少しずつ変化していき、特別支援学校という独立した学校だけでなはなくなりました。
1993年にが通級としての教育が制度化され、近年では学校教育法にも特別支援教育として位置付けられ、すべての学校で支援をさらに充実していくことが決定しました。
しかし、この特別支援教育は意外と関わっている教育者などでない限り、どんなことをしているのかわからないブラックボックスになっているのも事実です。
私自身、この分野に関しての知識が浅はかであると感じ、勉強をしましたがどこでどう学べばいいのか、経験に勝るものをそこらの情報だけで補うのは難しいと感じてしまいました。
知識や文化が少しずつ世の中に浸透してきてはいるものの、それでも互いの理解はなかなか進んでいないようにも感じてしまいます。
それでも、特別支援教育を必要としている児童の数は増加傾向にあり、現状対象になるのは25人に1人程度と言われています。
🤝誰かが特別ではなく自分を知る
特別支援教育では“自立”というのが一つのキーワードになっています。
自立をするために学び、成長していく。
しかしこれは何も特別支援に限ったことではないと思うのです。
誰もに自立が必要で、そのためには何が必要なのか、自分はどんな存在なのかを経験して、考え学んで成長してく。
特別支援教育が「どんな子どもの発達にも」効果的な理由こちらの記事にもありますが、特別支援教育というのは特別「な」支援と勘違いされがちです。
でも、特別支援教育は何も特別なのではなく、より個に応じた適切な学びをしていく、個別最適化の一つなのでしょう。
👦私の“普通”はあなたの“普通”ではない
どうしても通級などだと、児童生徒からしたら特別扱いをしているように感じてしまうこともあるようですが、こここそが最も共存、共生を学ぶ瞬間になっているのではないかなと思います。
確かに、特別扱いに見えてしまうのはしょうがないことだと思います。
それは、物事をまだ客観的に多面的に捉えられないからです。
しかし、その子から見えている特別は特別だとして、他を場面を考えた時はどうでしょうか。
給食の時間の好き嫌い、嫌いなものは残してもいいよと言われていませんか?
体育の時間、運動が苦手だから補助などをつけて頑張ってみようか。
忘れ物をしてしまった時、今日だけは先生の貸してあげるよ。
そんな時間ありませんでしたか。
と私は問いたいと思っています。
自分にとっては普通にしてもらっていることも誰かからすれば、それは特別であり、自分から見て特別に見えることはその子にとっては必要な普通のことなのかもしれません。
きっとこのお互いの普通と特別を擦り合わせていくために特別支援教育は必要なのでしょう。