こんばんは!

教員支援ネットワーク T-KNITのいがぐりです。

普段は私立の中高教員をしており、毎日ブログを書いております。

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みなさんは、特別支援教育についてどのようにお考えでしょうか。

探究学習でもよく耳にする、『「探究」する学びをつくる』執筆者の藤原さとさんの興味深い記事があります。

日本とデンマーク「似て非なる」インクルーシブ教育、共に学ぶことの真の価値 「分離された特別支援教育」は何が問題か

「思いやりの心をもちなさい」という教育が「子どもの問題解決力」を奪うワケ

私自身も昨年度に特別支援学校教諭二種免許状を取得しましたが思うところは数点ありました。

⛰全員が違う、それが当たり前

そもそも、特別支援教育というものが学校の中である意味はなんなのでしょうか。

文部科学省によると、特別支援学校や特別支援学級がある目的は障害による学習上又は生活上の困難を克服することにあります。

つまり、より学びやすい環境で児童生徒が成長していくためにあるのです。

ということは、逆に児童生徒が学びにくい、ここで通いたくないと思ってしまっては本末転倒なのです。

そもそも学校に集う子どもは多種多様な環境、さまざまな性格性質の子どもたちが集まっています。

それらの子ども全員が同じ場で一緒に学び、高めあうことのできる場所こそが本来の学校の在り方なのでしょう。

全員が違うことありきのはずの学ぶ場所を、個々の個性によって分断させてしまうというのが甚だおかしいのかもしれません。

👬社会性?国民性?

もしかすると、こういった分断教育は学校という学ぶ場のみではないのかもしれません。

私たち大人の住む世界、社会自体にそう言った性質があるのかもしれません。

学びやすさや個々の実力に分けて学ぶ場所を変えるというのは、見方を変えれば効率的かもしれませんが、こと社会全体のことを考えると疑問に思う点もあります。

社会の中では人それぞれの特徴によって働く場所が限定されているというのはありません。

確かにそれぞれにできる仕事できない仕事もあるかもしれませんが、だからと言って〇〇な人はこの仕事、△△な人はこの仕事といった具合に、分けて考えることはありません。

しかし、私たちは自然とあの人はああいう人だから〜といった具合に、空気を読む、距離感を大事にするということを無意識にしてしまいます。

この国民性のようなものが自然と今の教育現場を作り上げてきたのかもしれません。

特別支援教育に対して、良い悪いといったわけではないのですが、こういった背景もあるかもしれないというのを覚えておく必要があるでしょう。

👨‍🏫まだまだ理解の足りない現場

学校で働いていると、いわゆるグレーゾーンと言われる子どもの存在は感じる瞬間が多くあります。

あくまでも教員は専門家ではないので、判断することはできませんがそれは実はどの先生も不安に思っていることなのです。

児童生徒と毎日関わっている教員でも、誰でもが学んでいるわけではなくほとんどの場合、ご自分の経験をもとに指導をしていることがほとんどです。

そうなるとやはり、適切な指導をするのも難しくなる瞬間も出てきてしまいます。

かといって誰に頼れば良いのかもわからない状況。

近年であれば、学校カウンセラーや相談員がいますがどこの学校にも満足にそのような人員が配置されているとは限りません。

まだまだ現場においても理解が足りずに苦労をしている子ども、教員はたくさんいるのです。

理想は誰もが一緒に同じ場所で、互いを尊敬し合いながら学び続けるのがいいのでしょう。

日本においてはその国民性や教育体制も相まって、難しいのかもしれません。

そうであれば、そうなりに教員自身も学び続け、全ての子どもが等しく公正に学べるように学んでいく必要があるのでしょう。