こんばんは!

教員支援ネットワーク T-KNITのいがぐりです。

普段は私立の中高教員をしており、毎日ブログを書いております。

いがぐりのブログはこちら

よろしければ、ご覧ください。

皆さんは失敗についてどうお考えでしょうか?

本校では6月に多くの教育実習宇生を迎え入れ、その研究授業を見る機会が増えます。

研究授業の後には総評を行うのですが、その度に若干ガッカリすることも、、、。

👨‍🏫授業は作品作りではありません

研究授業のふり返りやそれを作るまでの過程を聞いていると、「うまくいかない」という言葉をよく耳にします。

逆に教育実習生の時点でうまくいってもらったらこちらのメンツが丸潰れなので、大変なのですが笑。

うまくいってほしくないと言っているわけではありません。

これは、実習教官のエネルギーが移ってしまっているようにも感じるわけです。

授業は生物(なまもの)と私はいろんな場面でよく口にします。

同じ生徒に授業をするにしても、その生徒の気分や体調で大きく教室の雰囲気は変わります。

だからこそ、研究授業のようにきっちりと指導案や時間設定まで作り込んで、一つの作品を作り上げるように行う授業は、正直教員のエゴというか自分勝手にも感じてしまうのです。

あえて授業を作品と呼ぶのであれば、それは作り上げるまで、その時間が来るまで完成した形が見えない、創造の芸術作品なのではないでしょうか。

✏️準備はいらないのか?

では、授業の準備は必要ないのか?

それは全くもってあり得ません。

授業の準備はしすぎると言ったことがないくらいに、準備は大事ですし必要です。

これが一種の教員の仕事の区切りの付け所の下手さに繋がるのですが、ここでは割愛します。

例えば、生徒から思わぬ質問が出た時、学問として深掘りが必要な前提条件を問われた時、はたまた全くもって科目外の質問が出た時、それらを自分の教科指導と繋げられるかどうかは、教師の力量次第です。

ここでの力量とは知識量のことを指します。

どんなに優秀な教員でも自分の頭の中に知識がなければ、それを教えるなど到底不可能です。

「先生も分からないや、次までに調べてくるね」

も、生徒に対して素直で正直なのでいい回答ですが、毎回がこれでは生徒も困惑すること間違いありません。

知識をつけつつも頭でっかちになりすぎない、微妙なバランスが求められます。

💨柔軟性と失敗の連続

そのバランスをとっていくのが柔軟性、そして失敗です。

瞬時に状況を判断する力、生徒との信頼関係、物事を多面的に捉える視野、前提を疑う思考、、、。

さまざまな力が必要になります。

しかし、これらは学校で授業をしているだけでは到底身に付けられません。

だから、学び続ける必要があるのです。

そして、学んだからといって必ずしも実践できるとも限らないのです。

何度も何度も試してはミスをして、試してはミスをしての繰り返しをしていく中で、感覚的にも構造的にも理解して、身についていくものです。

失敗をしないことを目指して、生徒に授業いう名の一つの作品を作るためにコマになっていたり、そもそも自分の失敗に気づかなければ、いつまで経っても力はつきません。

むしろ、周りは成長、社会も変わるで、自分の力は衰退していくと言っても過言ではないでしょう。

「失敗を進んでする」のではなく、失敗を恐れずチャレンジし続け、失敗の中から学んでいく。

専門家は誰よりも失敗しているから専門家です。