こんばんは!
教員支援ネットワーク T-KNITのいがぐりです。
普段は私立の中高教員をしており、毎日ブログを書いております。
よろしければ、ご覧ください。
みなさんは、これはまずいだろうな~という行動をしたことはありますでしょうか?
それは大小関わらず誰にもあることと思います。
例えば、友人に嘘をついてしまった。
成人していないけどこそっとお酒を飲んでしまった。
授業をさぼってしまった。
こういったことを学校では必要悪ではなく、悪として位置づけます。
皆さんはどのように考えますか?
👮〇〇はいけません。
よく子どもに何かを指示するときには、「〇〇してはいけない」というのではなく、「〇〇しなさい」と言った方が聞き入れやすいと言った話を聞いたことがあります。
年齢層にもよりますが、小さい子であれば特に。
自転車のスピードを出していて危ないときに、「スピードを出さない!」というよりも「ゆっくり走りなさい!」と言った方がよっぽど聞き入れやすいそうです。
そう考えてみると、学校の中には〇〇してはいけませんと言った張り紙が大量にあります。
校内でスマホをいじってはいけません。
廊下は走ってはいけません。
制服を着崩してはいけません。
遅れてはいけません。
たくさんある〇〇してはいけませんの中で、〇〇をしないというのは、もしかしたら子どもにとってみれば苦痛そのものなのかもしれません。
🏫子どもたちにあるのは?
確かに中には悪意を持って行う児童生徒もいるでしょう。(本質的な話をすれば、家庭環境などが関係してくると思うので、本当に悪意を持っているのはいないと思いますが、それは置いておいて。)
でも、多くの子どもたちにあるのはこういった〇〇してはいけませんに引かれて、浮上してくる好奇心なのではないでしょうか。
子どもたちもいけないことをいけないと判断するだけの、知識と経験は兼ね備えているはずです。
私自身の話をすると、学生時代には廊下に設置されている消化器の栓をギリギリまで抜くという遊びをしていました。
今教師目線として考えると、到底考えられない生徒像です。
もちろん誰もがいけないことだと、消化器は火事の時につかものだと心得ています。
それでも、してはいけないと言われれば言われるほど興味は惹かれてしまうもので、逆に注意をされない方がやらなかったかもしれません。
👹バランスをどこに定めるべきか
しかし、だからと言って全てのことを大人がしてはいけないといったからと言って容認しては、完全無法地帯になるのは間違いなしです。
だからこそ、そのバランス地帯を大人が、学校が定めてあげて社会に送り出してあげる責務があるのでしょう。
あれもこれもダメダメとしては消極的か、反抗心MAXの何もいうことを聞かない人間が出来上がるだけです。
なぜいけないのか、そしてその代わりに何をすればいいのか、はっきりと提示をしてあげて、思考のきっかけを作ってあげる必要があるのでしょう。
そもそもあれもこれもダメの無菌状態では社会で生きていけません。
むしろあれもこれもダメを守っている社会であれば、これほどまでに普段から暗いニュースがテレビを横行することもありません。
リアルのない学校の中でどこまでダメなこととのバランスを見極めていくのか、それこそが教員に求められていることでしょう。