塩畑(ソルティー)です。

茨城・栃木の社会教育主事講習に今年も携わらせていただき、参加者の感想を見させてもらっています。

皆さんの感想から、「気になったワード」があるので、それを踏まえつつ、自分も感想を書かせてもらおうかと思います。

まずは

「学校を核とした地域づくり」

です。

⭐ 大事なのは子どもを核とし、地域とともに歩む繋がりづくり

学校にも地域にも勘違いされやすいキーワードが『学校を核とした地域づくり』です。『学校が』とついてしまっていることで多くの人がその本当の意味に気づいていません。

例えば、

  • 学校が主体であるべき、先生がなにかするべきと先生も地域も勘違いしてしまう
  • 学校の教員が「やらなきゃいけないから」というようなネガティブな気持ちが出てきてしまう
  • 教員がコミュニティ・スクールは地域の連携をするものと勘違いしてしまう
  • 地域の人が「学校がやっていること」を手伝うというような受け身の気持ちになってしまう
  • 地域や、保護者が「こういうときだけ利用しようとして」と思ってしまいやすい

結局、意義について深く考えることは誰もせず、「面倒だな」「何か意味あるのか」という疑惑だけが加速していく。

結局、コミュニティ・スクールがうまくいかない要因は地域と連携することに負担感を感じる教員の存在と、「学校のことは学校で」という地域の人々との温度差から生じることが多いです。

しかし、『学校』を『子ども』に変えていくとどうでしょう?

『子どもを核とした地域づくり』であれば、見え方が変わり、教員も地域も子どものためなら参加しやすくなってきます。学校主導の地域づくりではないことも見えてくるでしょう。
子どもが育つ地域社会を作るためには地域が主体性を持って子どもを育てることで、結果として学校が成長するという逆説的な視点を持っているかいないかで、学校の先生だけが動くのではない制度なんだ。

むしろ、その逆で地域がもっと教育に積極的に入っていけるための制度だと理解できるかと思います。

こう考えた先に僕は『子どもを核とし、地域とともに歩む繋がりづくり』をすることがコミュニティ・スクールの真の目的であると言っています。

地域づくりは人づくりです。そして人づくりをするために、さまざまな人との関わり合いが生まれます。結局は世代を超えた友達をたくさん作ることが、子どもの成長に大きな価値があるんだということを覚えておいてもらいたいです。

⭐ 教員は太く短い付き合い、地域は細く長い付き合い

地域が教育に参加する価値は他にもあります。それが地域は子どもと細く長い付き合いになるからです。

今、子どもたちは無理に都会を目指さなくなりました。いや、都会に行ったとしてもUターン現象が起こっていることも多いです。

「自分の地元になにか還元したい」と戻ってくる方もいるのです。

何よりも学校の教員は一定期間でその地域からいなくなり、その子どもと関わることはなくなります。

しかし、地域の人は長い期間その地域に携わります。地域の伝統や雰囲気を作り続けていくのは、やはり地域の人なのです。

今は個性が尊重され、繋がりを消していく時代になりました。昔は逆で繋がりが尊重され、個性を消している時代でしたよね。

時代の流れかと思いますが、逆に捉えると地域の人による教育参加、繋がりづくりの価値は昔よりもはるかに大きなものになっているのです。

⭐ 学習の成果は地域に活かすためにある

学校で行う教育を学校教育、地域で行う教育を社会教育、そして家庭で行う教育を家庭教育と言っていました。

今でも言っている概念ですが、そろそろこの考え方は古いかなと思っています。

『学校だけでは成り立たない学校教育』になってきている現実があり、そもそも『そろそろ教育というワードは学校教育、社会教育という枠を超える必要性がある』のではないかと。

例えば、学校にとっては「総合的な学習の時間」等を用いた地域の理解の活動として用意していると思いますが、地域にとっては子どもたちを巻き込んだ「まちづくり」活動のことでもあります。

うまくマッチングすれば、それぞれがwin-win になるのです。

もっと言えば、ほぼすべての学校行事は社会に出るための予行練習です。ここを地域と一緒に考え、実行していくことを『地域学校協働』と言いますが、学校教育だけでは決して得られない学びをし、地域に還元することで、地域全体がつながり、まちを活性化させることができる。

まさに子どもを核とした地域全体が幸せになるウェルビーイングと言えるのではないでしょうか。