さて、今回お答えする質問です。
「検討の内容など公表はされていますか?」
学校運営協議会って中身が分からなくて、秘密結社みたいになっちゃうことが多いです。
その内容はどうして公表しづらいのでしょうか?
全員にとって都合が良い策は存在しない
まず大前提で考えたいのは、全員にとって良い最高の策というのは存在しないということです。
学校運営協議会にどんなに良識があり、どんなに素晴らしい行動力がある人が集まっていても、全員にとって最高の策というのは存在しないのです。
例えば、『コロナ禍明けの運動会はやるべきか、やらないべきか』という議論があったとします。
これはどちらが正しいか…と言われたら、どちらも正しいとなります。
運動会は子供たちの心に残り、地域の人たちも参加しやすい学校行事です。しかし、コロナ禍が鳴りを潜めたとはいえ、なくなったわけではありません。感染対策をする…つまり、教職員にとっては大きな負担が増えることになります。
逆に運動会をやらないということは、その分、授業に集中したり、教職員の働き方改革に繋がります。運動会以外の新しい行事への挑戦も始まるかもしれません。
しかし、なくなるということは今までの伝統が消えることでもあり、地域の人との繋がる機会がまた一つ失われます。
これはどちらが悪いというわけではなく、単純にメリットの違いがあるだけ。
どこを重視するかは学校の目的、協議会の方向性によって変わってくるのです。
学校運営協議会はお互い本音が交わされる場でありたい
透明性のある組織…と言うと聞こえが良いですが、学校運営協議会の内容を公表するかは慎重にしたほうが良いなって思っていたりします。
さきほどの運動会の例でいうと
運動会をやった→「安全が確保されてないのにこんなに人を集めるなんて!」「職員の負担が増えるだろう!」
運動会をやらなかった→「運動会をやらないなんて子どもたちの思い出を作ろうという気はないんですか!」「子供たちが一体感ある瞬間がなくなった」
これは例でしかないですが、実際にこういう声があがってくることもあるのです。
すると、学校運営協議会がこういった意見に左右されて、本質とは違った方向性に曲がっていき、当たり障りのない意見や、活動が縮小されてしまうこともあります。
僕、個人的に思うことですが、学校運営協議会は安心・安全の場であってほしいと思います。
「この人たちなら何言っても大丈夫だ」という安心感は、学校が本当に悩んでいることを話してくれやすくなります。そのためには、学校の先生と協議会の委員が仲良くなり、一緒に楽しみながら課題解決をすることが大切なのです。
しかし、会議の内容を公表すると、そこで話したことにイチイチツッコミを入れてくる人がいます。建設的な意見であれば良いのですが、大抵の場合は文句のみで、要望だけを言ってくることがあり、安心・安全の空間が保ちにくくなります。
委員以外の人の意見は、あくまでも参考であり、意見を尊重しすぎて本質から逸れないようにすることが学校運営協議会として活動する責任でもあるかなと思います。
※偏見かもしれませんが、今までの経験上、意見を激しく言ってくる人ほど「何かするよ!」って時に力を貸してくれなかったなぁと感じています
そのため、一般向けに公表して良い情報には慎重になって、敢えて公表しないのもアリなのではないかと。
敢えて透明性を高めずに、学校運営協議会の質を高める。そういう方法もアリだと覚えておいてもらえると嬉しいなと思います。