こんばんは!

今回から一般で登録された方にはコミュニティ・スクール、地域学校協働の情報をお伝えすることになりました。

配信は毎週月曜日になります。(今回は火曜日に配信していますが、次からは月曜日に配信していこうと思います)

担当するのは私、教員支援ネットワークT-KNITのソルティーです。しばらくの間、よろしくお願いいたします!

さて、メールマガジンでは、皆さんからの質問を受け付けて、そこに返答していく形にしようかと思っております。そのほうが皆さんとの双方向のコミュニケーションができると思いますので、どうぞお楽しみに。

さて、今回お答えする質問です。

「コミュニティスクールがスタートした後。学校ごとの教育方針や意思決定までの過程に児童、生徒の意見を反映してもらいたいが、いかがでしょうか?」

この意見には取り入れたほうが良いと思う点と、慎重になったほうがいい点の2つがあると思っています。

なんでも叶えることは良いことなのか?

「子どもを不幸にする一番確実な方法は、いつでも、なんでも手に入れられるようにしてあげる事である」

これは、フランスの哲学者であるジャン=ジャック・ルソーの言葉です。今では子供を真ん中に!子供の声を教育に!としてこども家庭庁もできました。しかし、子供を真ん中に置くという言葉は、このジャック・ルソーの名言のように、いつでもなんでも、子供が楽しくなるように…ではないと思っています。

大事なことは自分の脚で歩けるようにしてあげること。逆に言うと、なんでも自由で、なんでも与えられるようになったら自分の脚で歩けるようになるのか?と言ったら不自由な時のほうが成長が早い時もあるんじゃないかなって思うのです。

僕自身も「うまくいかない」と思うことがあって、そこではじめて成長できる伸びしろに気づくことができました。「どうしたらできるようになるんだろう?」って考えたり、試したりできたからこそいろんなことが学べたんじゃないかと感じます。

教育方針や、意思決定までの過程に児童、生徒の意見を反映するのは可能なのか?

さて、さきほどの内容を踏まえて、質問の件を答えたいと思うのですが、方針や、意思決定の場に児童・生徒の意見を聞くのはもちろん可能ですし、実際に行っている学校もあります。ただ、意見を取り入れるなら子供たちではなく、一人の人間としてしっかりと受け止めていくことが大切かなと思います。

そもそも教育方針の決定に子供たちを混ぜると、とんでもないことを言い出すのではないか?という大人も結構いらっしゃるようです。でも、子供も意外としっかりと考え、意見をしてくれるので、杞憂に終わるケースが多かったなと感じます。

で、あるならば、子供と見るのではなく、意見を言う一人の人間としての敬意を払い、一緒に考えていく仲間という意識で見ていくと良いのかなと。

その過程で地域にも、先生にも、いろいろな事情があって一筋縄ではいかないというがんじがらめになっている部分に直面することもあると思います。

それを一緒に考える。そして、学校で教育を受けるものの代表としてしっかり意見を話すという経験は子供にとっても良い経験になるし、大人にとっても新しい気づきに繋がります。

だけど、子供だからと言ってなんでも優遇するようなことがあってはいけません。いろんな子供たちがいる学校だからこそ、みんなが目指すべき人物像に近づけるようにするのが大切なので、それができるのであれば採用するし、そうできないのであれば改善をしてもらう。

意見としてしっかり受け止め、子供だからと言って突き放すこともしないし、優遇することもしない

こういうスタンスがより学校全体として幸せに近づくことになるんじゃないかなと考えます。