皆さんは、凄いと思う先生や、この人がいたから今の私があるという恩師的な先生はいますか?もしかするとその先生は本当に優秀な先生ではないかもしれません。

私も教師になりたての頃は、ホームルームでリーダーシップを持って、生徒を良い方向へ導いていく記憶に残る先生が良い先生だと思っていました。

卒業式の日、生徒の前で感動的なスピーチをし、生徒から感謝され、お互いに感動の中で次のステップに進んでもらう。

こんな光景は先生のやりがいの一つではありますが、果たしてこれが一番良い形でしょうか?

「仏様の指」という逸話から

「仏様の指」という逸話をご存知でしょうか?

「仏様がある時、道ばたに立っていらっしゃると、一人の男が荷物をいっぱい積んだ車を引いて通りかかった。そこはたいへんなぬかるみであった。車は、そのぬかるみにはまってしまって、男は懸命に引くけれども、車は動こうとしない。男は汗びっしょりになって苦しんでいる。いつまでたっても、どうしても車は抜けない。その時、仏様は、しばらく男のようすを見ていらしたが、ちょっと指でその車におふれになった。その瞬間、車はすっとぬかるみから抜けて、からからと男は引いていってしまった」

出典 大村はま 「教えるということ」

この逸話で、男は仏様に助けられたことを知りません。男はこの困難を自分の力で乗り越えたと思っています。再び同じようなことが降り掛かったときに、男は過去の自分を振り返り自らの力で乗り越えた体験を胸に立ち向うことでしょう。

では、この困難に仏様が男に分かる形で手助けをしていたとしたらどうでしょう。男は、最初こそ頑張るものの、ある程度頑張ったところで仏様の施しを期待してしまうのではないでしょうか?

これを学校現場で考えてみましょう。生徒が困っているときに、先生が積極的に関与し、解決の筋道を立てて実行させてしまう。これでは、生徒の課題解決能力が育たないことが明白です。現在の学校現場は、ほとんどがこれです。

逸話から本当に優秀な先生の関わり方を考えてみましょう。生徒本人が気付かない程度に背中を押し、自ら解決できたと思わせる。生徒は課題に直面しても自分の力で頑張ろうとする。そうすると、どんどん力がついていく。しかし、先生の記憶は生徒に残らないでしょう。でもそれでいいんです。

命や人権に関わる緊急の場合はまた話が別ですが。

先生自らが不確実な世界を生きていることを自覚する

この背中を押す力の見極めは本当に難しい。先生の個性による再現性の違いもあるし、生徒一人ひとりの個性によっても関わり方は違ってくる。昨日良かったことが今日ダメなことだってある。

では、どうしたらよいのか…。明確な正解はありません。考え続けなければなりません。先生自らが不確実な世界を生きているという自覚を持たなくてはならないのです。

学校の先生は、これまでの学校教育の成功者が先生になっていることが多いので、正解ありきで話を進めようとします。しかし、この正解主義では不確実な世界の課題を解決していくことはできません。

その力をつけるために、先生は外に出ましょう。世界と向き合い、いろいろな人や出来事に触れ、その場その場で決断を下し、間違っていたと思ったら修正を重ねていく。こういったことを通して、感性を豊かにしていくのです。

そこで培ったものを、生徒に学校に社会に還元していくうちに、気づかれぬようにそっと背中を押せるようになるのです。

先生が外に出るきっかけとして、T-KNITのLHRってイベントなんて最高ですね。皆さん参加してはいかがでしょうか?

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