こんばんは。

教員支援ネットワーク T-KNITのいがぐりです。

普段は私立の中高教員をしており、個人でもブログを書いております。

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みなさんは夏休みの宿題に対してどのようなイメージをお持ちでしょうか?

私は小学生の頃に読書感想文が全くもって書けなくて、写経のように20枚にわたる本文を写した感想文を夏休み最後の日に必死でやっていた苦い思い出があります。

今日は夏休みの宿題について考えていきます。

「夏休みの宿題」が変わる?名古屋市民におなじみの“夏の生活”を取りやめる学校も 教育評論家は歓迎

ここ数年、さまざまなネットメディアで「宿題」というものに対してさまざまな見解が飛び交っています。

ティーチャーズメディアでもドリル宿題についての記事がありますのでぜひご覧ください。

そんな夏休みの宿題ですが、みなさんはアリ派でしょうかナシ派でしょうか。

宿題があることで学習習慣が身につくという風に考えて宿題を出す教員も多くいます。

確かに物理的に時間の拘束をすることができるので、全く勉強をやらなくなるような子どもに対しても机に向かわせるきっかけを作るという点で言えば、いいのかもしれません。

何よりも保護者も家庭での学習に対して「宿題をやりなさい」の一言で済むため、楽と言えば楽なのです。

私も担任をやっていて膨大な量の宿題を求める保護者の方とよく面談でお話をします。

しかし、ここでやはり考えたいのは宿題の目的です。

一律での宿題はなしにしたとしても、夏休みの学習の計画表や勉強報告などを課して自分のペースで自分で学習を組み立てるというふうにしている学校もあります。

これはこれで一部の生徒には結構な負担になっているのではないかなとも感じます。

例えば極端な話、私たちが上司から「有休消化するのね、じゃあ家で仕事をしてきてね」と言われたら納得できるのでしょうか。

せっかく有給を使っているのですから、ダラダラするもよしどこかに遊びに行くもよし、普段は没頭できない自分の趣味に没頭するもよし。

そんなことを考えるのではないでしょうか。

もしかしたら、子どもたちにとってみれば宿題というのはこういうことなのかもしれません。

確かに夏休みだからといって、子どもが家に一日中引きこもってゲームをし続けていたら心配になるかもしれません。

ただ、それも一つの家族の中でのルール作りなど、また別の視点での教育の機会の一つなのではないでしょうか。

宿題は学習習慣をつけるとは聞こえがいいかもしれませんが、とにかく勉強以外をさせては子どもたちが悪さをするという過去の幻想に囚われた風習が続いているだけのような気がします。

こんなふうに考える私もそれなりに宿題を出している時期もありましたし、今でも成績が極端に悪い子には特別課題といった形で宿題を課しています。

学校の決まりだからといったらそこまでなのですが、私は特にその課題の提出を求めるようなことはしません。

あくまでも「あなたの成績が心配だから、この宿題をやればいくらか手助けになるかもよ。」といった体で渡しています。

つまり、別にその子がやったのかどうかは対して重要じゃないのです。

もし、何か自由でいいので宿題を出してくださいと言われれば、私なら夏休み明けの授業で自分の体験を共有する時間を設けるといった宿題を出します。

自分の夏休みに体験したこと、感じたこと、成長したなと思うことをとことん話してもらう。

話すのが苦手なら作品として提示するでもいいと思います。

とにかく大事なのは夏休みという長期休暇に何を体験して、それが自分のどんな糧になったのかということを噛み締めることだと思うのです。

体験こそがいちばんの学びとも言えるのではないかなと感じるからこその宿題です。