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教員支援ネットワーク T-KNITのいがぐりです。

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未履修問題とは2000年前後に多数の高校で必修科目を生徒へ履修させていないことが判明し、単位不足となって卒業が危ぶまれたというできごとです。

当時私はまだ小学生でしたので、全くもってこの話を知りませんでしたが、今努めている学校で以前からいる同僚にはよく話を聞きます。

今日はそんな未履修問題について考えていきます。

先日このような記事が出ていました。

まだ詳細については触れられていませんが、国立大の付属小学校で未履修問題が発生していたようです。

【独自】必修の習字授業なく「君が代」指導もなし…国立奈良教育大付属小で不適切授業 検定教科書使われず学校教育法違反も

内部事情は分かりませんので、簡単に非難はできませんが一体どうしてこのような未履修問題というのは起きてしまうのでしょうか。

以前大きく問題になったときの未履修問題は学習指導要領の改定に合わせて、授業数の変化があったり必修科目の追加があったりとこれまでとは異なる授業設定が必要になったからだと考えられます。

近年ではつい最近の指導要領の変遷で探究が大きなポイントとなって授業時間割に入ってきましたが、これについてはまだ自由度が高いようで未履修問題と言われるような問題はきいたことがありません。

どちらにせよ、このような未履修かどうかは学習内容と指導要領との乖離が問題になった際に起こります。

今回驚きなのは、指導要領に最も準じながらも発展的な取り組みをしてそうな国立の付属校でこれが起きたという事実です。

ネットニュースをいくつか見ていると、校長との教育方針に食い違いがあったというようなことが書いてありました。

教育方針は違えども守るべきところは守るべきだとは思うのですが、、、。

しかし、確かに時として学習指導要領、もっというと指定された履修範囲というものは足枷になるのかもしれません。

例えば、私は物理の教員をしていますが、単位数に対して単元の履修内容が多く十分に指導要領の内容を網羅できているかというと自信を持って「はい」とは言えません。

実験を行って生徒に確かな思考力を身につけさせたいのですが、その準備や動作の確認などを行っているととてもじゃないですが、授業時間数が足りなくなってしまうのです。

今年度は教員が足らず、私は57人に一斉授業をしているのですが、この人数だと実験教室のキャパ的にすでに不可能です。

こういった形でやりたくてもできないということで指導要領通りに授業計画を立てられないパターンもあります。

それ以外にももっと実践的な生活に直結した学びをさせたいと意識高く教材研究をしても、教科書の内容から離れ過ぎてしまうとこのように未履修として扱われてしまうのかもという不安感も生まれてしまうのかもしれません。

しかし、実際に指導要領に書かれている目的などを完璧になぞることはできなくとも、当てはめることはできるのです。

例えば、読書が好きな私は国語科のやっている10分間読書(授業の冒頭の10分間を読書に充てる)をどうにか理科でもできないかと画策しました。

本来であれば、理科の中でそういった読書の時間を設けるのは授業の進度的にも難しいかと思ったのですが、やりたかったのでやりました。

それでもこんなちょっと強引な理読(理科読書を訳して理読と言っていた)も指導要領の中の文言に合わせれば、リンクできる部分がるのです。

「〜日常生活や社会における科学の有用性を実感できるような場面を設定することが大切である。」と書いてあるのです。

まさに理読の時間はこれに値します。

こんなふうに指導要領は足枷に感じるかもしれませんが、読み込めば授業の中での実践の幅を広げる理由づけの武器になるのです。

今回の未履修問題は児童にとっても教員にとっても残念な結果になってしまいましたが、これを機に指導要領へのイメージが良いものに変わってくれることを願っています。