こんばんは。

教員支援ネットワーク T-KNITのいがぐりです。

普段は私立の中高教員をしており、個人でもブログを書いております。

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皆さんは授業を作る上でどの程度シラバスに則って行っているでしょうか?

シラバスとは年間の授業の流れや成績のつけ方などを記載した授業の全貌が分かるようなものです。

通常、最初の授業でシラバスを掲示して、生徒と共に確認をすることで授業の確認をします。

このシラバスですが、果たしてどこまで作成の義務はあるのでしょうか?

そもそもシラバスには中学校や高等学校において作成義務はありません。

というのも、学習指導要領という大前提の学習指南書が存在しているからです。

その年の中で何を学習するのか、どういったことを学ぶのかは学校ごとに大きく異なるということはないようになっているはずです。

それでもシラバスを作成する学校がほとんどなのです。

では、誰がシラバスを作り始めたのかというと、これは大学から徐々に降りてきた教育サービス的な側面が強いのではないかなと思います。

大学設置基準の「成績評価基準等の明示等」には1年間の授業の内容と、成績のつけ方について明示するように記載があります。

おそらくこの大学での流れが中高にも浸透してきてシラバスを作成するようになってのでしょう。

教員の負担になってるとは言え、通知表などと一緒でなかなか簡単になくそうとはできなさそうです。

海外においてシラバスとは契約書のようなものらしく、学生と教員の契約というような側面があるようです。

教員は、成績のつけ方などについて提示して学生の同意をもらう、学生はそれに従って努力し勤勉に励んでいく。

つまり、日本のように毎年毎年同じようなシラバスを利用しながら変更箇所だけを変えていくようなものではなく、教員ごとに書式もさまざまでもっと自由度の高いものととらわれているようです。

また、シラバスはその時々の学生のようすや理解度で中身を変えることも十分にあり得るため、日本の形とは大きくかけ離れているようです。

またまた、日本独自の形骸化文化の上に成り立っているのがシラバスということなのでしょうか。

本来、シラバスは教育の質を向上するためにあるもの。

それが教育の制約を生み、さらには単純な業務として時間を奪っているのなら、あり方を考える必要はありそうです。

おそらくこれからはシラバスといったものも形が変わっていくこととなるのでしょう。

これまでは、学習指導要領に従い教科書を教える授業がほとんどでした。

チョーク&トークで知識伝達型の古臭い授業です。

ただ、これからは探究の時間にもさらに力が入り、いわゆる教科学習の形もさまざまな方法で姿を現していくことになるのでしょう。

教え方が一つではなくなるためにシラバスを共通のものと考えることも少なくなっていきます。

むしろ、教え方と考えることがそもそもなくなり、どのように作り毛ていくのかの指針の提示程度に収束していくのかもしれません。

実際の授業は生徒、教職員、保護者との協働によって作り上げていくものという考え方にシフトしていけばおのずとシラバスの形も変わっていくはずです。

これからの教育を考えるとき、そのシラバスの在り方を考えるのも楽しいですね。