こんばんは。

教員支援ネットワーク T-KNITのいがぐりです。

普段は私立の中高教員をしており、個人でもブログを書いております。

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ちゃっかり乃木坂46の楽曲名をお借りして今日はメルマガを書いていきます。

歌詞が少しネットなどでも触れられているところを見ますが、皆様は聞いたことがありますか?

もしなければぜひ、一度ご覧ください。

乃木坂46「おひとりさま天国」

私は結構おひとり様が苦手なタイプです。

1人居酒屋、1人映画、1人焼肉、1人店員さんに相談、どれもチャレンジしてみたいとは思いつつも、なぜだかできないのです。

恥ずかしがり屋とか内気とかそういうのではないのですが、なんだか考えすぎてしまって結局のところ、まぁいいかと体験もせずに逃げてしまうことがほとんどです。

一方で、1人カラオケや1人ラーメンにはスッと行けます。

自信のあるところにはいけるのかもしれません笑。

乃木坂46さんの楽曲にも”おひとりさま”とある通り、多様性の理解を強制される現代社会において1人で過ごしたり、1人で生きるというのは一つの選択肢としてとても大事なものだと思います。

もちろん誰かと一緒に食べるご飯は美味しいかもしれないし、一緒に映画を見てその後に感想を言い合えるというのも素敵だとお思います。

でも、それと同じくらい1人で食に没頭するのも、映画を見て思考に耽るのも素晴らしいと思うのです。

それでも、社会の構造は最初から誰かと一緒にいることを求められてしまうのです。

生まれた時から1人を選択するというのはなく、数あるカテゴライズの中で生きてきた末にようやくおひとりさまという権限を半ば消極的に選択ができるようになるのです。

学校では「誰かとペアになりましょう。」「4人グループを作りましょう。」といつも誰かと一緒にいることが前提として話が進んでいきます。

当然、先生方も配慮の上で行うことも多いです。

最初から固定のメンバーを作ってしまったりとか、席順で決めてしまったりとか。

それでも、どこかのタイミングで必ず自然に2人だったり、何人かのグループを作らなければいけない場面はやってくるのです。

社会人になってもそれはいくらか変わりはするものの、根本的な部分は変わらないかもしれません。

誰かと協力、共同をして助け合いの精神などを養うというのは学校教育においても必要な勉強だと思います。

しかし、一緒を強制するのは時として子どもたちの大きな負担になってしまうのかもしれません。

今の世代はいろんな情報をメディアでも目にする場面が増えたおかげで自然と多様性を培った子が多い気がします。

しかし、多様性を持ち合わせてはいるものの「そういうものだよね」といった自分の中にあるカテゴリーで括るだけで、実際にふれあい理解し納得し共感しようとする子はなかなかいないのではないでしょうか。

自分に合わない子は合わないことしてそこまで。

それも一つのあり方なのかもしれません。

無理にそういった子と関わり合わせる必要はないのですが、ただ、そういった関係から自分の気づきになる場面もあるはずです。

それを分かった上で過ごせるのかどうか。

おひとりさまは最高ですが、結局のところ社会はおひとりだけでは動かないからこそ、おひとりさまも含めて互いに共感した共生が必要なのでしょう。