こんばんは!

教員支援ネットワーク T-KNITのいがぐりです。

普段は私立の中高教員をしており、毎日ブログを書いております。

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みなさんにとって学校の先生とはどのようなイメージがあるでしょうか?

いつも正しく、子どもたちを導いてくれる存在?

規則正しく規律を重んじる人?

そんな先生も一人の人間であることを忘れていけません。

今日はそんな先生の態度について考えていきます。

🚴自転車ヘルメット問題

道路交通法の改正により、4月から自転車乗車時のヘルメット着用が努力義務となっています。

これまでもヘルメットの着用に関しては、生徒へ対して義務化しているところは少なかったのですが、道路交通法で努力義務となると変化があるかもしれません。

しかし、ヘルメットを着用している大人はあまり見たことがありません。

先生で生徒へのヘルメット着用を勧めてはいるものの、先生自身が着用しているのはいないのではないでしょうか。

当然、教育的な意味合いで言えば指導する手前、教員自身も着用したほうがいいのかもしれませんが、実際に校則や法律で義務化しているわけではないので強制力を働かせるのは難しいのではないでしょうか。

こういった事例は学校現場でも多くありますが、そもそもの目的を見失いがちです。

例えば、今回のヘルメット着用を努力義務とするのであれば、生徒の安全を第一に考えるのが目的なのか、道路交通法の着用努力義務を守るのが目的なのか。

それを考えていく必要があります。

🧙‍♂️先生=聖人問題

これと並行してある問題は、先生=聖人問題です。

先生と言われる人間は、誰から見てもお手本のような人間で正しくなければならないという先生の思い込み。

そして、世間から見ても先生は正しく、誰から見てもお手本になるような人間と思いこまれてしまっています。

これが大きな問題なのです。

先生は確かに学校現場においては生徒の指導に当たるべく、それなりの見てくれが必要になります。

例えば、生徒に対して「身だしなみを整えろ」という教員が逆に身だしなみが整っていなかったり、寝坊などばかりしてしまっていては、生徒も説得力がなく言うことを聞いてくれません。

また、外での行動まで制約されることもあります。

居酒屋などで一般的な社会人のように飲んでいるだけでも、それ自体が「教員としてどんなものか」という問い合わせがあることもあります。

指導の手前、教員という仮面をかぶることも必要ですが、それと同じくらいその仮面を脱ぐ時間があるというのも大事なのです。

👨‍👦‍👦生徒に対しても一人の人間として

そもそも私たち教員から見た生徒像、生徒から見た教員像というものが固定概念として染み付いていることに問題があるのかもしれません。

確かに”先生”というと、出来上がった人間を想像するかもしれませんが、先生も一人の人間です。

そして同じように子どもたちも一人の人間です。

そこには、これまで生きてきた人生の時間という差しかないはずです。

ともすれば、我々教員が本来子どもたちに教える、教育するという行為は一体何を求められているのか。

子どもたちからしても、なんのために学校に出向いて学ぶのか。

そう言った根本的な構造に焦点を当てなければならないのでしょう。