こんばんは!

教員支援ネットワーク T-KNITのいがぐりです。

普段は私立の中高教員をしており、毎日ブログを書いております。

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みなさんの苦手な科目、得意な科目は何でしょうか?

学生時代の先生はその科目のプロフェッショナル。

何を聞いても教えてくれて、こんなすごい人間がいるもんなのかと感じたことはありませんか?

はたまた、もし自分が先生だったらこんなの教えられないとも思いませんでしたか?

しかし、先生も実を言うとそんなに科目に対しての知識が豊富かと言われるとそうでもないのです。

今日はそんな科目に対しての私の苦悩も交えて書いていきます。

∮∧√数年ぶりの物理さん、こんにちは

教員になって6年間、ずっと中学校に所属をして教鞭を執ってきました。

元々は高校教員にしかなるつもりもなく、まさか自分が中学校で授業をしているなんて思いも知りませんでした。

中学校の理科は物化生地すべての科目を網羅するために、自然と知識もついていきました。

一方でその弊害もありました。

自分の専門科目であるはずの物理の知識が予想以上に欠落していたのです。

久しぶりに物理に触れてびっくり、ほとんどの内容が頭から抜け落ちておりほとんど学び直しに近い状態です。

でもだからこそ、これまでは疑問にも思っていなかったような公式の成り立ちや、その学問が進展してきた背景などに興味を持って見ることができ、新鮮な感覚を楽しめています。

全員が全員こうではないかも知れませんが、こんなふうに配属などの関係で自分の専門性を活かせずに眠らせてしまっている教員も多くいると思います。

以前は専門性があったのに、知識技術が減衰していく。

何とも儚くも悲しい気持ちになります。

💝専門性<寄り添い

しかし、そうは言ってもそんな先生であっても教壇に立って子どもたちに勉学を享受しています。

ものすごい受験勉強をしている子であれば、下手したらこんな先生よりもより難しい問題も解けるかも知れません。

ではこう言った子に対して先生の存在は必要ないのでしょうか。

先生のあり方というのはただ、専門性をひけらかせばいいというものでもなくなってきているのでしょう。

それこそ、さまざまなツールが発展してきている現代、分からない問題があったとしても瞬時に答えまでの解法を示してくれるものはいくらでもあります。

だから、教員に必要なのはこう言った子のどこでつまづいているのか、科目に対しての苦手意識などの偏りがないか、どんなふうに勉強をしているのかと言った寄り添いの部分にこそ重要度が高くなってきているのかも知れません。

専門性を持たなくていいと言っているわけではなく、今の自分の専門性をただ高めようと足掻くよりも、今自分ができていることやれることを全力でやり続けることも、科目の教員として必要な態度なのではないでしょうか。

👶子どもたちも分かっている?

年齢が低い子どもであればあるほど、無邪気に難しい質問を投げかけてきます。

でもそんな今の子どもたちも成長するにつれて、スマホなどと言ったより優れた知識の集合体の存在を認識していくはずです。

それでも、まだ先生に問いかけるのは自分の現状を理解してもらって、何とかそこから抜け出すための策を提示してくれないかと期待しているから。

先生は専門家ではありません。

でも、誰よりも一人一人の児童生徒に寄り添って付き添って理解を深めてくれる存在です。

勉強をして知識をつけつつも、自分が今何を一番できるのか。

それを考えながら常にベストパフォーマンスを出せる教員でありたいものです。