こんばんは!
教員支援ネットワーク T-KNITのいがぐりです。
普段は私立の中高教員をしており、毎日ブログを書いております。
よろしければ、ご覧ください。
皆さんは学校の時間割についてどう思いますか?
私が学生の時に時間割に対して思っていたのは、体育の時間をいかにして長く過ごすかだけでした。
それ以外の時間を過ごすのが面倒すぎて、ひたすらそんなことを考えていました。
面倒と感じてしまう授業って、、、。
❓客観的に見て詰め込みすぎでは
皆さんは、一日、いや1週間の中でどれくらいの時間を自分の勉強にあてているでしょうか?
または、そもそも1週間の中で勉強にあてている時間はありますか?
自信をもって「あります。」と答えられる人は少ないのではないでしょうか?
総務省の「平成28年社会生活基本調査」では、仕事をしている社会人の週当たりの学習時間は、42分と出てました。
週当たりに42分ということは、1日あたりは6分です。
1日にたったの6分しか勉強していないのです。
それなのに、子どもに対しては一日の大半を授業というなの、拘束力を持ったしたくもない学びの時間を強いているのです。
この授業の中身を面白く、子どもにとって興味のあるものにするというのはまた今回とは話が変わりますが、大人ですら勉強の時間を取っていないのに、子どもにそれをやらせるというのは相当な矛盾のようにも感じます。
時間割、改めて見て詰め込みすぎなのではないでしょうか。
🎶チャイムインの厳守
加えて、授業と授業の間にある休み時間。
ここまでも制約されているのです。
この休み時間、皆さんの学校ではどのように使うように生徒に話していますか。
おそらくほとんどの学校が、
・次の授業の準備に使う。
・小テストの勉強に使う。
・教室移動のための時間。
としているのではないでしょうか?
もちろんそれも大事なのですが、そればっかりになっていませんか?
そして子どもの行動を制約していないでしょうか?
休み時間は、“休み”時間です。
休んだり、自由に使ってはいけないのでしょうか。
むしろ、ここで気持ちを緩めたりリラックスするからこそ、授業に対して集中して取り掛かることができるのです。
チャイムイン(チャイムが鳴り終わるまでに教室に入って授業の準備を完了しておく)を徹底する教員もいますが、最近はそんな様子を見ると、監獄を思い描いてしまいます、、、。
💭無ではなく空の時間に気づくもの
時間割もあと数年したら変わるのでしょうか。
私は週の中で半日空いている日が、生徒も先生もあっていいと思っています。
最近ではそんな取り組みをしている学校もあります。
その学校では、週に1日半日空けて自分の好きな学びの時間に没頭するそうです。
学びでなくても、体を動かしたければ動かす。
本を読みたければ本を読む。
その好きなことを追及したり、ボーっとする中で生まれるものを大切にしているのです。
かの有名な科学者たちも、偉大な発見をしたのは何もないときや切羽詰まっている時ではありません。
時間があるのだけれど、何もしていないボーっとしている時間。
この時間に本当は意味があるのではないでしょうか。