こんばんは!
教員支援ネットワーク T-KNITのいがぐりです。
普段は私立の中高教員をしており、毎日ブログを書いております。
よろしければ、ご覧ください。
皆さんは日々の生活の中で幸せを感じるのはどんな時ですか?
美味しいものを食べているときとか、旅行に行っているときとか、そんな特別な日には“幸せ”を感じるときもあるかと思います。
しかし、そんな特別な日の“幸せ”はたまにしか訪れません。
幸せか幸せでないなら幸せの方がいいに決まっています。
💛幸せを求めすぎない
しかし、幸せを求めすぎてしまうとそれはそれで、非常に危険です。
非日常の中にある幸せは、一種の刺激のようなものです。
刺激はたまにあるから刺激として感じられるのであって、これが毎日のようにあれば刺激として感じなくなってしまいます。
例えば、どんなにラーメン好きだとしても毎日がラーメンだとするとどうでしょうか?
初めのうちは、それは嬉しいでしょう。
しかしおそらく、それが続けば続くほどラーメンの味や重たさに胃袋がやられ、味覚がやられで、大好きなラーメンですら食べるのも嫌になること間違いありません。
幸せであったはずのものが、苦痛を生み出す者に変わってしまうのです。
刺激は適切な量だからこそのいい刺激としてとらえられます。
刺激を求めるための、幸せを求めるために行動をしすぎてしまうと逆に不幸せな結果を巻き起こします。
🎶今ある幸せに気づくこと
ありきたりな言葉かもしれませんが、幸せは作るものでもありますが、気づくものでもあります。
すでに身の回りに幸せはあふれているのです。
そこに気づけるように、視点を広げたり、幸せを感じる沸点を下げていく必要があるのです。
例えば、何ともないような一日の中にも幸せと感じられる要素はたくさんあります。
朝目覚めて、窓を開けたときに差し込む太陽の光、鳥の鳴き声、車の音。
焼きたてのトーストをかじり、コーヒーを楽しむ。
一歩一歩を歩き踏みしめながら職場へと向かっていく。
登校してくる生徒とあいさつを交わす。
朝のホームルームで生徒と雑談をして笑い合う。
おそらく挙げればキリがないと思います。
結局はそれを幸せと思えるかどうかは本人次第なのです。
👀幸せに気づくために
それでは、その小さな幸せに気づくため、幸せと感じる沸点を下げるためにはどのようにすればよいのでしょうか?
私は1つはふり返りだと考えています。
どうしても私たちは日々ゆとりがあっても、そのゆとりを感じて生きていくのが難しい人種のようなのです。
三種の神器と呼ばれた家事時間を極端に短縮する術が、各家庭に普及したにも関わらず、いまだに世の中のお母様は家事に追われる毎日です。
意図せずしてつくられた余白には、意図しないものが入り込んできてしまいます。
私もAI採点で採点時間が大幅に削られたにもかかわらず、その削られた時間に良く分からない仕事が舞い込んできてしまいました。
なので、ふり返りの時間を意図して作ること、これが大事なのです。
ふり返ることで、自分の体験や経験はより鮮明に、そして記憶に深く刻まれます。
それがそのときの感情を脳にインプットさせます。
良いことであれば同じ感情を感じたときに一層それを感じられ、悪いことであればそれに対する対処を覚えているのです。
幸せはすでにあるものに焦点を当てて、より鮮明にすることです。
小さな幸せ見つけてみませんか?