こんにちは。いがぐりです。
教育系オンラインサロン、アソシアでは皆がお互いの価値観を共有し、認め合い高め合っています。
そしてその様子は時に、学校の教室の中で互いに成長し合う生徒のようだと感じています。
学級は数十人の生徒と担任で成り立っています。
今回は、私、いがぐりがクラスを運営していく中で1番大切にしている、クラスの安心安全領域の形成について話したいと思います。
先生も一人の人間、互いを一人の人間として尊重する。
「学生のうちは失敗してもいいんだよ。」
「いろんなことにチャレンジしなさい。」
学校でよく耳にする単語ですね。
でも、現状は失敗をすれば怒られ、周囲と異なることをすれば修正させられる。
なぜ、先生の言動と行動に差異が生じてしまうのか。
多くの場合は他の先生の目線であったり、「こうでなければ」の強迫観念から来るものだと思います。
でも、そういった思い込みは先生自身の首を逆にしめてしまいます。
まずは先生が『先生』であることを捨てること。
無理に先生を演じる必要はありません。
本来のあなたに与えられた使命が先生であっただけで、先生を取り繕う必要は無いのです。
そして、一人の人間として子供たちと向き合ったときに初めて、真に子供たちと向き合えるようになります。
感情や意思の表現を受容する。
子供たち、特に小学生・中学生からすれば、先生の存在は大きく絶対的正義だと感じている側面すらあります。
そしてそこに、多くの先生が甘えてきました。
一人一人の個性や考え方に向き合わず、右向け右の一律指導を徹底してきたのです。
でも、40人のクラスであれば40通りの考えがあるのが当たり前。
もちろん、正解はありません。いや、40通り全てが正解です。
何でもかんでも褒めればいいというわけではありません。
大切なのは『受容』と『共感』で、どんな考えでもその人が思った時点で正解、当然、先生も同じです。
「こう思ってもいいんだ。」と安心させ、心のストレスを取り除いてあげることが、伸び伸びとクラスで過ごし、学び成長する生徒の育成につながります。
担任の教員として見たいのは、クラスで子供たちが生き生きと自分をさらけ出しながら、尊重し合い認め合う様子です。
そのためには、言葉だけで子供の背中を押してもなんら効果はありません。
普段から「ここなら大丈夫。」、「認めてくれる誰かがいる」そう思ってもらえる環境づくりこそが私が担任として最近大切にしていることです。
そして、そんな空間の心地良さをこのアソシアでも感じているからこそ、教室と同じ匂いをアソシアに感じています。