こんばんは!
教員支援ネットワーク T-KNITのいがぐりです。
普段は私立の中高教員をしており、個人でもブログを書いております。
よろしければ、ご覧ください。
教育の目的とはどこにあるのでしょうか。
生徒の学力を高める、人間力をつける、健康的な生活を営むため。
さまざまな考え方があると思います。
今日は豊かさという指標で教育について考えていきます。
👫豊かさはひとそれぞれ
教育はなぜ行うのか。
お堅い話をすれば、教育基本法には下記のようにあります。
「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値を尊び、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない」
抽象的な言葉でわかりづらい部分もあるかと思いますが、国民としての義務を全うできる自立した人間の育成を目指しているわけです。
そして、これを達成するための目標も設定されています。
つまり教育というのは、国民を育てるためのものと言ってもいいのかもしれません。
しかし、私たちはそんなものを定められなくとも、昔から子どもへと下の世代へと教育を本能的におこなってきました。
そこには社会を良くするために、その一員としての役割を全うさせるためにと言った思いもあったのかもしれませんが、それ以上に親から子への愛、よりよく生きて欲しいという願いなのかもしれません。
☘️すぐ目の前にある豊かさで十分?
そして、このよりよくというのが豊かさにつながるのではないでしょうか。
しかし、現代において豊かさの指標を昔と大きく変化しています。
それこそ、昔は食料を安定して供給するのが難しく、食事をたくさん食べれるというのが豊かさの指標だったのでしょう。
今はどうでしょうか?
生まれた時からほとんどの子が食事に困るということはないのかもしれません。
昔よりも科学技術も発展しているので、生活の水準も非常に高くなっています。
そのおかげで、常に豊かさに触れていると言っても過言ではないでしょう。
家でゆっくりするのが豊かさだという人からしてみれば、どんな場所に住もうがある程度自給自足をしながらサブスクで楽しみ尽くすという手だってありますでしょうし。
そんな中でどのような教育が必要なのでしょうか。
♻️人と人との交わりの中で
個々で自由に掴める豊かさがあるからこそ、逆に誰かと交わる中で生まれる豊かさというのはより難しくなっているのではないかなと感じます。
例えば、部活動なんかで同期と引退に向けて全力で頑張り、最後の試合で全てを出し切ることができたとなった時、それは1人だけでは達成感しか感じません。
もしかしたら達成感すら感じないかもしれません。
仲間と同じ苦楽を共感し、同じ時間を過ごすことによって、互いにそれが強化され互いを称え合いながら高め合う。
そういった誰かとの繋がりの中で生まれる感情にこそ今は価値があるのかもしれません。
何も、1人で生まれる豊かさが不十分といっているわけではありません。
ただ、人と人とのつながりの中で生まれる豊かさというのに気付ける場所こそが学校というところなのではないでしょうか。