こんばんは!

教員支援ネットワーク T-KNITのいがぐりです。

普段は私立の中高教員をしており、毎日ブログを書いております。

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みなさんは、学生時代の時にグループワークなどで話し合い活動はありませんでしたか?

数年前にアクティブラーニングという言葉が一人歩きをして、そこらじゅうでグループワークもどきの話し合い(放置)が授業の中で組み込まれていました。

私も中高大とたまに、こういう話し合いに出会ってきました。

今日はそんな話し合い活動についてまとめてみます。

👨‍👩‍👧話し合いの方法は教えない

授業の中で話し合いの時間は確保する時が多くなりましたが、それでも話し合いの仕方について教えてくれる授業はなかなかないのではないでしょうか?

傾聴の姿勢、質問の仕方、共感と批評、、、

対話をするという点では多くの意識すべき点があります。

我々大人は、これまでの人生の中でたくさんの機会に恵まれた中でそういったことを繰り返し肌感覚で理解できるようになっていますが、子どもたちはどうでしょうか?

私は今の子どもたちは以前よりも、話し合いや対話という場に不慣れなような気がします。

1番の原因はSNS。

連絡手段が容易になったことで、短文でのスピーディーな連絡が展開されるようになりました。

その結果、コミュニケーションは文章ではなく、短文、そして単語のみと、より短く早く相手に伝えられる手法へと切り替わっていったのです。

そんなコミュニケーションが当たり前の世代の子どもにとって、話し合いとは苦痛な時間なのかもしれません。

⏫アウフヘーベンの体感

こういった子どもたちにはおそらく、アウフヘーベンの体感がこれまでもなかったのでしょう。

誰かと対話を通して新しい考えに気付いたり、より深く高次な意見に辿り着いたり。

この経験があればおそらく話し合いというものに対しても積極的になるはずなのです。

そして、そのためには必ず教員の適切な介入が必要なはずです。

「花はなぜ綺麗か?」

という議題を挙げた時に、子どもたちだけであれば、

「いろんな色があるから」

「いい香りがするから」

「季節ごとに咲く花が変わるから」

「たくさんあるから」

という視点の掲示だけで終わってしまうことがほとんどです。

しかし、ここに教員の適切な介入があれば、

「いろんな色があるから」→「花の色は何で決まっているんだろう?」

「いい香りがするから」→「花によって香りが異なるのはなぜ?」

「季節ごとに咲く花が変わるから」→「季節がない国はどうだろう?」

「たくさんあるから」→「一輪で咲く花との違いは?」

と、疑問や見えていない視点を渡すことで、学問としての深みも対話としての深みも増していくのです。

これを繰り返すことで、自然と子どもたちが自分でその循環を起こせるようになり、アウフヘーベンを体感するようになるのです。

🔑責任は大人にあり!

教員の「話し合ってごらん」は、多くの場合子どもたちの中で多数決へと変化していってしまいます。

中には小グループを自分たちで設定して話し合いをさせ、全体で共有するとかいう自然とファシリテーターな強者もいますが、、、。

多様化している現代だからこそ、個々の意見や在り方を尊重しましょう。

という解釈が自然と対話=対立、争いという印象を与えてしまっているのかもしれません。

確かに、多様化している現代、全く同じ意見、在り方、生き方などもしかしたらいないのかもしれません。

でも、多様化しているもの同士を組み合わせ新しい価値が生まれやすい時代でもあります。

だからこその対話なのです。

子どもたちの話し合い嫌いは大人が作り出した風土です。

逆にいうといくらでも、その価値を話し伝承していくことはできます。

今一度、その真価を我々大人が考えるべき時なのかもしれません。