こんばんは。
教員支援ネットワーク T-KNITのいがぐりです。
普段は私立の中高教員をしており、個人でもブログを書いております。
よろしければ、ご覧ください。
最近の科学技術の進歩は目まぐるしく、次から次へと新しいものが生まれます。
数十年前の人がいきなり今の時代にタイムスリップしようものならパニックになるのではないかとさえ思います。
今日はそんな科学技術の進歩と教育について考えます。
🧰増え続けるツールやアプリ
Classi、ロイロノート、Google work space、次から次へとツールは出てきて教育界へと浸透していきます。
数年後には教科書も完全にデジタル化されて、紙を持たない世代が生まれてくるのでしょう。
実際に文科省もその方向で動いているようですし。
そんなふうにただひたすら増え続けてくツールやアプリは一体どのように関わっていけばいいのでしょうか。
もちろん便利なものはどんどんと広がっていきますが、最近では公立学校でさえ採用しているものが異なり、どこか独立した教育になってきている気さえします。
良いものが浸透していくのは喜ばしいことではあるのですが、どこかで一度立ち止まってこう言ったツールやアプリの精査をするというのも大事な気がします。
ICTがあまり普及していない時には、新しい教育法が生まれ、様々揉まれ論文などで周知、審査されるというなんとなくの流れがありました。
良いものは良い悪いものは悪いと判断するタイミングが失われているのではないでしょうか?
🤷何だそれ、どうすればいいねん
というのと、このような記事を見てそれを感じたのです。
MetaがQuest向けの新しい教育製品を2024年後半に発売する予定、13歳以上の生徒向けに教育アプリの提供&複数のヘッドセットを教師が一括管理できるように
こんなヘッドセットをつけてする教育が最新とされたら、教員は一体何をどうすればいいのでしょうか。
もちろん、それが子ども達の学びにとって良いものであれば、どんどんと広がった方がいいとは思いますが、一抹の不安を感じているのも本音です。
あるのは、私たち自身がそんな新しい教育の形にアップデートする猶予がないという点と、それが本当にいいことと確信が持てないままに進んでいくのではないかという感情です。
まだ、20代の私ですらこんな不安を感じているのですから、年配の先生からしたらもう悲鳴ものでしょう。
何となく年配の先生方がICTに対して否定的になるのも分かる気がします。
要はきっと自分の中で確信を持つタイミングを、時代が待ってくれない、持たせてくれないことが原因です。
🕹️試しながら、残り続けるものを重視
新しく誰も分からない、でも有識者や開発者は良いものと信じ確信して広めようとしている。
そうとなれば試さない意味はないと思います。
そこに教師が確信を持てずとも、子どもたちと共に、フィードバックをもらいながらやってみる。
一方、残りつづつけているものの価値も見落とさない。
例えば、グループディスカッションやペアワークには、他には変えられないメリットが様々あります。
こう言ったところは、むやみやたらに他の方法に据え変えるというのは危険です。
何事もそうですが、残すべきところは残しつつ、より良くなることは改善しつつというのが最善策なのでしょう。
ワクワクもしますけど同じくらいの不安もありますね、でもこれがこれからのあり方になるはずです。