こんばんは!
教員支援ネットワーク T-KNITのいがぐりです。
普段は私立の中高教員をしており、毎日ブログを書いております。
よろしければ、ご覧ください。
みなさんはゲーミフィケーションをご存知でしょうか?
その名の通りゲームが関係している言葉となります。
本来はゲーム要素のない目的やサービスの中にゲーム要素を取り入れることで、教育的効果を求める変化のことを言います。
私が小さい頃の記憶ですと、例えばDSという携帯ゲームの漢字や漢検対策ソフトなどがそれにあたるのでしょうか。
今日はこのゲーミフィケーションについて考えていきます。
🎮総じて良好か?
このゲーミフィケーションに関する論文も複数出ているようで、総じてこの考えについては高評価のようです。
学習者の学習意欲が向上するのはもちろんのこと、定着率や能動的に学習に取り組む態度が見られるようです。
私自身も授業の中で生徒に対してquizアプリのQuizletというツールを利用しています。
生徒の参加意欲はもちろんのこと、これまでは単語帳を使って学ぶ生徒などあまり見たことがなかったのですが、その単語帳自体がQuizletのアプリの中に入っていることもあってか、学習時間は大いに増加していました。
しかし一方で、フィードバックを適切に行わなければ、その効果は的確に図れず、遊んで終わり、ただ「楽しかったね。」で終わってしまう危険性もあるようで、ゲーミフィケーション導入者には多少の負荷がかかってしまうかもしれません。
👊先生は大反対か?
加えて、ゲームと聞くとその単語だけで顔を歪ませる保護者や教員がいるのも事実です。
最近のゲームは子どもたちの中には、そのはまってしまうエンターテイメント性と中毒性からゲーム依存症となる者もいるほどです。
となると、学びの場にそもそもゲームは必要なのかと懐疑的になるのも無理はありません。
特にいわゆるテレビゲームと言われる手軽さを兼ね備えたツールの流行し出した、1970〜80年代にすでに子ども時代を終えていた世代からしてみれば理解もできないでしょう。
多くの保護者や教員は反対をするかもしれません。
私自身は導入としては大賛成です。
しかし、そのゲーム性をどこに置くのかにもよるかと思いますが、学問の全てをゲーム性の中に落とし込むのは無理があると考えています。
学問の行き着く先は、各々の叡智を集約させた一人一人の言葉に収束するもののはずです。
ともなると、与えられたプログラミング上の型にハマった中での知識の発展は、限界があると思うからです。
🏁目的をどこに設定するのか
こういった問題に突き当たった時に考えるべきは、目的をどこに設定するのかではないでしょうか。
そもそも学習の中にはなかったゲーム性を、ゲーミフィケーションというそれらしい言葉を作ってまで導入していく理由はなんなのか。
私はやはり、科目や学びといったものに興味を向けさせるためにあるのだと考えます。
ただ単純に書き込むだけの学びでも、十分な学習効率はあるかもしれません。
しかし、それは自分を律することができるものからすれば、学びに姿勢を向けるのも簡単だと思いますが、そもそも辛いこととはできるだけ向き合いたくない、楽な方に逃げたいという楽観的な私のような人間からすればとても難しいことなのです。
でも、それが例えばゲームの上でできたら。
誰かと競い合うようにして楽しめたら。
何かゲームの中で報酬を得ていくことができれば。
少しは学びに対しての意欲が変わるかもしれません。
ここにこそ、ゲーミフィケーションの意義はあるのではないでしょうか。