こんばんは。

教員支援ネットワーク T-KNITのいがぐりです。

普段は私立の中高教員をしており、個人でもブログを書いております。

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学校の先生の1番の仕事はやはりなんと言っても授業ではないでしょうか?

自分の専門科目とはいえ、学習内容は指導要領が変わればそれに合わせて教科書や問題集も変化しますし、毎年同じ学年を担当するということもあまりないので、準備は欠かせません。

ましてや初めて持つ学年となるとそれはより大変になります。

今日はそんな授業準備と時間について考えていきます。

1つの授業が完成するまでに先生はどれくらいの時間をかけるのでしょうか?

これは人それぞれになってくるでしょうし、その授業のクオリティにもよるかと思います。

私は一般的な授業1時間分を作成するのには2時間ほどの時間を要します。

さらに初めての単元であれば、その研究も必要になるのでさらに2時間ほどと言ったところでしょうか。

なんにせよ授業をするというのは、その単元を生徒のレベルまで落として、それも自ら学びたいと前向きになっている生徒ではなく、最初から苦手意識や受動的な生徒に理解を促す必要があるわけです。

そうなってくると、ただ自分が理解をするだけでは不十分です。

それを児童生徒がわかりやすいように例えを用いたり、実際に目で見て納得してもらえるような形を追求した方が良くなります。

ベテランの先生であれば、全くもって教材研究をしなくとも壇上に立てるという人もいますが果たしてそれは授業になっているのでしょうか。

いい授業とはなんなのかと、自分の教材研究をするたびにいつも考えてしまいます。

そこでいつもこんな思考に陥るのです。

「もし十分に時間があったのなら、、、」

確かに時間が十分にあれば、今の授業にさらに創意工夫を凝らす余裕も出てくるでしょう。

よりわかりやすく、いろいろな例を身につける時間もあるのかもしれません。

理科であれば、実験などを交えながらより体験的に理解を促すことも可能でしょう。

しかし、実際に時間があっても教材研究を追求する教員も少ないように感じます。

大体の先生が一度やったことのある授業は、自分の中で貯金ができたというような感覚になり、できている授業にさらに授業準備の時間を充てるという感覚はないわけです。

でも、その気持ちも分からなくはないです。

私自身今年は週あたり13種類の授業作成で追われており、一度教えたことのある授業に関しては若干使い回し感があるのも事実です。

先生に必要なのは余裕だとつくづく感じます。

とは言っても、そんな私も教材研究の際にはYouTubeやスタディサプリなども活用します。

正直言ってそれだけでも十分くらいに学べるわけです。

学ぼうとする意欲さえあれば。

そう考えると、我々教員の必要性はどこにあるのかというのは疑問に思う部分でもあります。

画面の向こうで知らない先生がこちらの反応度外視で教えてくれる環境ではなく、児童生徒の反応に合わせて分からないところを重点的に教えてあげられるというのが実際の授業の利点なのかもしれません。

リソースは山ほど出てきている中で私たち教員がわざわざ授業の準備に時間を割くということに、どこまでの意味を持たせられるのか。

それが試されているのかもしれませんね。