こんばんは!
教員支援ネットワーク T-KNITのいがぐりです。
普段は私立の中高教員をしており、毎日ブログを書いております。
よろしければ、ご覧ください。
皆さんは学生時代の定期試験を覚えていますでしょうか?
学生時代の勉強といえば定期試験に向けてのものが多かったのではないでしょうか?
実際に多くの学校では、この定期試験の結果をもとに成績をつけています。
そして、これがそのまま大学入試に扱われたりするのです。
そんな定期試験について考えていきます。
✏️なんのための定期試験か
そもそも定期試験は何のためにあるのでしょうか?
これは、先生視点と生徒視点で大きく変わると思います。
先生側からしてみれば、定期試験ほど生徒の成績をつける上で必要なものはありません。
定期試験の結果からその科目の評価を算出して、成績をつけているのです。
そうなれば当然、授業も定期試験の点数を取らせるためのもの。
教科指導もそこが重点に置かれてしまいます。
一方で生徒側からしたときに定期試験が何のためにあるのかを考えてみます。
それは、教科学習の理解度を測るためのもの以外の何ものでもありません。
その教科に対して、自分がどれほど理解しているのか、どれくらい学んできたのかを測るためのものです。
しかし、あくまでもこれは理想です。
大学入試や成績といった観点で考えると、どうしても点数を取るためだけのものになってしまいがちです。
この定期試験の意味合いが先生と生徒の間でずれが生じていて、そしてそれぞれがそれぞれの解釈をして納得してしまっているからこそ、ずっとこの形態は変化しないのでしょう。
📃結果は誰が見る?
さて、みなさんの記憶の中で定期試験の結果はどのように扱われていましたでしょうか?
全ランキングを張り出して自分の順位を確認していましたか?
それとも、張り出しなどは一切せずに自分の点数だけを知らされていましたか?
定期試験の結果は先ほども話した通り、理想のあるべき姿は自分の理解度を測ることにあります。
それでも、張り出しをしている学校が多いのは、勉強を頑張ってランクインした子の自尊心を上げるためであったり、ランキングにあともう少しで乗れなかった子を鼓舞してあげたりといった形で、使えるからではないでしょうか?
確かにそういった観点があるのもまた事実です。
しかし、本当にそれでいいのでしょうか?
今の時代、一つのことを目指して山登りのように1位を競走して取りにいくような、努力の仕方は変わりつつあります。
社会もどんどんと変化しているために、1位の概念が揺らいできているからです。
例えば、学校の定期試験でどんなにいい成績を取れても、模試や入試で結果を出せない子もいます。
そんな子はどうすれば良いのでしょうか?
👀3つの視点の評価のすり合わせ
私は試験の評価は点数という簡単なもので済ませるのではなく、しっかりと次へのステップとして重要な一助になるべくポジションを取らせるべきだと考えています。
そのために必要なのは、やはり評価ではあるのですが数値だけではありません。
その点数をとって、自身の勉強の姿勢を振り返ったときにどうだったのかを、自分自身で思い返させる、自己評価的視点。
先生という大人の視点、勉強をしている生徒の取り組みを見ての評価という視点。
そして、同じ試験を受けた生徒同士の相互の評価という視点。
この3つが合わさったときに初めて、定期試験に対しての自分の姿勢を全て俯瞰的に捉えられるのではないでしょうか。
まだまだ、構造化されその意味を追求するだけの余裕が学校現場にはなく、とりあえずやる定期試験になってしまいがちですが、今一度その意味と定期試験が生徒にとって最大限活かせる術を考えていく必要があるでしょう。