こんばんは!
教員支援ネットワーク T-KNITのいがぐりです。
普段は私立の中高教員をしており、毎日ブログを書いております。
よろしければ、ご覧ください。
みなさんは、ギフテッドという言葉をご存知でしょうか?
ギフテッドはギフトが語源となっており、贈り物などを表します。
生まれ持って突出した能力を持って生まれた子供などを指す場面が多いです。
そんなギフテッド教育がニュースでも取り上げられていました。
県内のギフテッド教育の支援【こどもみらいテレビウィーク】ミヤギテレビ
皆さんはどのように考えますでしょうか?
👬スペシャリストとジェネラリスト
SNSやネットニュースといったマイクロメディア優位の近年。
欲しい情報も新しい情報もすぐに手元にやってきます。
自分にとって興味のある分野をとことん突き詰めて、誰でもがスペシャリストになれるのです。
以前までのように決められた山道があり、そこを登れば誰でもが豊かな人生を送れるといった風潮は変わり、それぞれがそれぞれの場所で適した生き方を求められているのです。
つまり、スペシャリストを育てる教育や社会というよりかは、個々別々に出現するスペシャリストを統括して、新たな価値を生み出すようなジェネラリストが重要になるのです。
そう考えるとギフテッドのように、何かしらの能力が優れているような子どもは必要ないのかと言われるとそうではありません。
むしろ、幼少期からそういった凸凹の中で過ごすという経験が社会に出ていったときの大きな糧になる可能性が高くなります。
また、確かに求める情報にすぐにたどり着けるようにはなっていますが、全員が全員スペシャリストになるとは限りません。
ほとんどの場合、ある一定のところまで知識を得ればそこまでで満足をしてしまい、学びを止めてしまいます。
だから、ただ単純に環境があるからそこに甘んじるのではなく、このニュースのようにギフテッド教育としてその場があるという事実が大きな支援につながっているのです。
🎁全員がギフテッド
究極を言えば、誰でも彼でも本来であればギフテッドのはずなのです。
それぞれが自分にしかできない自分だからこそできる能力があって、それを世の中に活かせる土壌はできているはずなのです。
しかし、多くの場合育っていく環境で自分自身への自信をなくし、なぁなぁに過ごして生きていってしまうのです。
だからこそ、教育というのは大事だと私は考えています。
そんな自信や自分の価値を見つけられる場所だからです。
それでも、やはり学校は社会の縮図。
大人の世界で何かに秀でた人に対しての対応と子どもの世界での対応は近くなっていってしまいます。
大人の世界にいじめがあれば、当然子どもの世界にもいじめは存在します。
教育は学校だけで行うべきものではありません。
大人の社会全体で子どもたちを育てていく意識が必要です。
そしてそういった考えがまん延した時、初めて誰もがギフテッドの社会ができ、その掛け算による豊かさが生まれていくのでしょう。