こんばんは。

教員支援ネットワーク T-KNITのいがぐりです。

普段は私立の中高教員をしており、個人でもブログを書いております。

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学校教育で協調性が求められるようなことが増えてきました。

それに伴って、最近の子は誰かと異なること目立つことを避けるようになってきているような気もします。

今日はそんな気になる記事を一つ紹介します。

「リレーに選ばれたくない」「褒められるのは嫌」…戦慄の教育現場ルポ「『浮く』を恐れる」子どもたち

リレーの中止はいくつかの学校でも数年前から導入していく学校もありました。

このニュースもそんな事例の一つです。

学校の運動会や体育祭ではクラスから1名、各対抗色で1名速い選手を選出してリレー対決をすることが常になっています。

大抵の学校ではそんな徒競走やリレー勝負は、最後の大トリになることが多いのですが、その競技の風向きが大きく変わっているようです。

なんと、リレー選手として選ばれた児童の7割が辞退したそうです。

教員としてはなんとも残念と感じてしまうのですが、この感覚は正しいものなのでしょうか。

みなさんは同じようなことが自分のクラスで起きた場合、自分のお子さんが出たくないといった場合どのように対応されますか?

そもそも、こういったリレー競技に出たくないというのはなぜなのでしょうか。

以前までの考え方で見れば、選手に選ばれたことは名誉なこと、目立てるチャンス、モテるかもと多少邪な気持ちはあっても、チャレンジしていく子が多かったのではないでしょうか。

今はどうなんでしょうか。

私のクラスにも出たくないといっていた子がいたので話を聞いてみたところ、

「そんなに速くないのにわざわざ出たくない。」

「負けた時に周りにどうみられるか分からない。」

「全力でやっているところを見られたくない。」

といったような声がありました。

分からなくもないですが、この根本的な原因は何か別のところにあるような気がします。

たとえリレーで負けたとしても最後に賞賛されたり、その選手の自己肯定感がしっかりと磨かれていけばそんなにこんな声も挙がってこないと思います。

リレーに出たくないのではなくて、リレーに出たあとの自分の姿であったり、その間の人間関係に対する不安がこの出場拒否の感覚を生んでいるのではないでしょうか。

世の中の移り変わりは非常に速く、今の時代は山登りタイプの働き方ではなく波乗りタイプの働き方とも言われています。

一つのことをただひたすらにやり続ける力も大事ですが、時代の潮流に合わせて適宜生き残れるスタイルを選択していく。

今の学校社会にもこのような風潮が子どもたちの中に広がっているのかも知れません。

しかし、そうはいっても社会の中で競争心が全くもって消えているわけでもないですし、なければいけないところも出てくるはずです。

その競争心の大きさや種類は色々と異なるのかもしれませんが、確かに必要なものです。

スポーツにおいては競争心がなければ上手くなりません、イベントごとで他の人よりも早く行って列に並ぼうというのも競争心、友達よりも早く恋人を作りたいというのも。

リレーに出たくないというのは一つの選択肢としてはありだとは思いますが、その場そのものを無くすのは教育的に見た時に正しい選択なのでしょうか。

むしろこのリレーの形を「〇〇秒以上は一律何点」など変えていく柔軟さが求められているのではないでしょうか。