こんばんは。

教員支援ネットワーク T-KNITのいがぐりです。

普段は私立の中高教員をしており、個人でもブログを書いております。

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皆さんが学生時代に一番印象に残っている授業は何でしょうか?

私の記憶にあるのは自分が理科の教員ということもあり、理科の実験の授業が色濃く残っています。その他にも自分が教員を目指すきっかけになった担任がやっていた授業、1時間ずっと空手の話をする先生の授業。

どれも思い返してみれば「おもしろい!」と感じた授業でした。

今日はおもしろい授業とつまらない授業について考えてみます。

そもそも、児童生徒にとってつまらない授業やおもしろい授業とはどんな授業でしょうか。

子どもたちの興味や関心を引き出せない授業であれば、当然ながらつまらないと感じるでしょう。

例え内容がおもしろい授業であっても、レベルが低かったりその学校などのニーズに答えられていないのであれば、それも一括してつまらないという括りの中に入ってしまうのかもしれません。

これはちょっと理不尽な話になってしまうかもしれませんが、子どもたちの気分が乗っていなければそれだけでつまらない認定されてしまう可能性だってあります。

では逆におもしろい授業とはどんな授業でしょうか。

教科の話をしていなくても、先生がおもしろければそれだけで面白い授業という太鼓判が押されます。

児童生徒に負荷をかけても、それにへこたれずについていこうという雰囲気ができていれば、難易度が高くても面白い授業になるでしょう。

要は、つまらないもおもしろいもさまざまな要素が影響しており、一概には分類はできないわけです。

加えて、その場にいる児童生徒のレベルもそれぞれになります。

同じ難易度の問題を扱ったとしてもそれを簡単と感じる生徒もいれば、全くもって手も足も出ないという生徒もいます。

得意と不得意もあります。

中には国語などの文章を読む問題は簡単に解けるのに、簡単な計算だとしても算数は苦手という子もいます。

そうなると、単純に授業の難易度を平均に合わせて設定するだけでは、子どもごとにつまらないおもしろいの感じ方もバラバラになります。

当然と言えば当然なのですが、これを解決すべき手立てはあるのでしょうか?

大抵、授業の難易度というのは全体の7割くらいが理解できるように設定されているような気がします。

誰一人取り残さず、授業に興味関心を示していけるような授業の在り方とはいったいどんなものでしょう。

こういった話をすると大体の場合、個別最適化学習という言葉が並行して出てきます。

全員一律で学べないのだから、それぞれの進歩で学習したほうがいいだろうという表現でこの個別最適化学習が使われますが、本当にそれは正しい在り方なのでしょうか?

本来の個別最適化学習とは、既存の学級の中で誰一人取り残さない学習をできるように環境や学習の方法を整備するという意味であって、あくまでも個人が優位であるという意味ではないと思うのです。

例えば、一つのクラスの中に理解度の高い生徒と低い生徒がいたとしても、理解している生徒から難しいと感じている生徒へ教えるなどの方法をとれば、互いにとってワンランク上がった学習ができます。

そしてこれこそが本来あるべき学びの姿になるのではないでしょうか。

全員い統一してこちらから何かを教授しなければならないという肩の荷を教員がおろしていくためには、やはりもっともっと教員に対しての時間的支援も業務的支援も必要なのだろうと思います。

そして、授業や教科研究に注力できる環境が必要になるのでしょう。