こんばんは!
教員支援ネットワーク T-KNITのいがぐりです。
普段は私立の中高教員をしており、毎日ブログを書いております。
よろしければ、ご覧ください。
みなさんは、道徳教育やクラス目標についてどのように思われているでしょうか?
先日面白い記事を拝読しました。
「思いやりの心をもちなさい」という教育が「子どもの問題解決力」を奪うワケ
「みんなで仲良くしよう」とか、「優しい気持ちを持とう」とか、そういったありきたりないわゆる大事な言葉を学校では多く利用しています。
みなさんはこの言葉にどんな印象を持たれますでしょうか。
💕心の教育を抜きにした空虚な目標
この話、非常に教員というのは難しい職業だなと改めて感じました。
いわゆる、大事な内容であるはずのこういった言葉が、気付かぬうちにさまざまな受けたられ方をして、思った通りに伝わらない部分があります。
これはそもそもの具体的な経験の違いと、その濃さの違いによるものなのでしょう。
心の教育と言った時に、その感じたものを抽象的にして共通項を見つけ出すという作業の力に差が出ているからです。
このことはしょうがないかと思うのですが、そこに気付けずに先走ってしまうような先生がいた時には、注意が必要です。
こういった先生は大体の場合、熱血に隠れた生徒への強要をしてしまっている可能性があります。
そんな中身のないような、人間力教育は思いも伝わらずただ宙ぶらりんの空虚な目標となっていってしまいます。
👬個性を大事にするのか、集団を大事にするのか
さてここで、さらにもう一つ疑問点が生じます。
それは個性を大事にするのか、集団の共感性を大事にするのかといった問題です。
もちろん両者共に大切なのは重々承知です。
中道中庸であるのが、どちらの視点も見えるのでいいでしょう。
しかし、学校のクラスというのはそれぞれ異なる背景を持った人たちが集まる場所です。
私立学校や、1年性の時にはよりその色が強くなります。
そういった時に、ある程度の共感性を持ち合わせていないと、一気にクラスは空中分解してしまいます。
しかし、個性を大事にして個々の伸長を誘発するのも大事です。
理想の形である、個性を大事にしつつ、それを発揮することがクラス全体の共感性を生み出すというのは、机上の理論のようにも感じてしまいます。
だからこそ心の教育が必要なのかもしれません。
🏙心の教育は市民教育
ここまでの話を見ていて、みなさまはどう思いましたでしょうか?
「学校って大変なんだな」と思われましたか、それとも「あれ、これって私たちも同じじゃないか?」思われませんでしたでしょうか。
結局のところ、ものすごい大きな視点でこれらを捉えると全てコミュニケーションなのでしょう。
大人も子供と同じでコミュニケーションにさまざまな観点で悩みます。
日本人は世界的に見ても鬱の患者も多く、自殺者も多いです。
こういった現状を見てみると、学校の先生の教育一本ではなくて、そもそもの社会情勢から見直していく必要もあるのかなと感じてしまいます。
そういった全てのことを見据えた中で、子供たちに心の教育をするとなった時、みなさんは何を教えますでしょうか?