こんばんは。
教員支援ネットワーク T-KNITのいがぐりです。
普段は私立の中高教員をしており、個人でもブログを書いております。
よろしければ、ご覧ください。
いじめの認知件数はここ数年、増え続けており、毎年のように過去最多を更新しています。
文科省の資料を見ても、その傾向が分かりやすく記載されています。
皆さんはこのいじめについてどのようにお考えでしょうか?
👀いじめの定義を再確認
文部科学省によれば、いじめの定義は「児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍している等当該児童生徒と一定の人的関係のある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものも含む。)であって、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの。」とされています。
いじめ防止対策推進法の施行に伴い、平成25年度から定義されてきたものです。
私はこの平成25年に高等学校を卒業してしまったので、各学校でどのような学校内のいじめ問題に対してどのような変遷があったのかは分からないのですが、大学在学時の教職の授業ではよく出てくる内容でした。
いまでこそ、この内容については浸透してきているようにも感じますが、みなさんはどのように感じますか?
「少し大袈裟では?」という声もよく聞きますが、どんな小さなことからいじめに発展するかは分かりません。
だからこそ、どんなに小さな芽でも気づいてそれを学校というチームとして防止する必要があるということなのでしょう。
このように、いじめの定義が広くなっているからこそ、認知件数も上がり続けています。
逆にいうと、これまではいじめと認知されずに苦しんでいた子たちが、学校というセーフティーネットから抜け落ちてしまっていたということなのでしょう。
❓このままでいいのでしょうか、いじめの定義は
ただ、私が教員として生徒と関わって8年間、語弊を恐れず言うとそろそろこのいじめの定義も考えどころなのではないかと感じます。
この文科省の文言をそのままに受け取ってしまえば、ほぼ100%と言っていいほど被害者側の視点に立って考えてしまうことになるからです。
当然、該当生徒を守るためにはそれが必要なのでしょうが、学校にはさまざまな子がいるため人間関係を前提にこのことを考えないといけないと思うからです。
例えば、生徒同士A君とB君が喧嘩をしてしまっているとしましょう。
この時、A君はお互い様だと言う客観視した事実を受け入れることができて、B君がそれを受け取れず「自分は一方的にやられた、これはいじめだ」と主張をしたら、それをいじめと捉えて動いていかなければならないわけです。
子どもによっては、誰かにやられたと言うイメージだけが強く残ってしまうような子もいるわけです。
そこに親がモンスターペアレントだったという条件が絡むと、より最悪です。
🌎どのような世界に生きていたいのか
大人の世界でも最近では〇〇ハラスメントが横行しています。
事実だけを見れば「そんなことで?」ということですら、ハラスメント扱いにされることもあれば、遠回しにハラスメントをする人もいます。
栄養ドリンクを靴箱に無記名で置くだけで懲戒処分にされてしまう世の中ですから。
でもそれもこれも、私たちがどのような世の中で生きていきたいのかという部分に尽きるのではないでしょうか。
本音で話せない、現実が変に恵まれすぎている、不便さがない。
こういったことは、発展への足かせとなって現状維持を誰もが望むようになります。
現状、学校や社会の中で生きていくのが苦しいと感じるのは、互いの苦しさを共有する場があまりにも少なく共感できる場所がないからではないでしょうか。
逆もまた然りです。
学校では「いじめはダメだ」という指導はもちろんのこと、それ以上に互いを語り合い、知り合う、共感して、時には共感せずとも尊敬して受け入れる。
そんな時間をたくさん作っていく必要があるのではないでしょうか。