こんばんは。

教員支援ネットワーク T-KNITのいがぐりです。

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県の教育委員の就任前の発言をめぐって問題になっています。

教育委員「子どもは商品」発言 賛否巡り応酬 知事「不適切と思わない」

確かに商品と言われれば若干の違和感を感じますが皆さんはどう思いますか?

ことの発端は牧田和樹教育委員による発言です。

経済団体が主催した海外視察で、同行した県内の現役教員に対して発した言葉が取り上げられています。

「子どもという商品の価値を高めて輩出するのが学校、決して保護者のためではなく国家繁栄のために教育がある」という発言をして、これが報告書にも記載されていたそうです。

確かに“商品”と言われると、どこか利用されるようなイメージを持ってしまうためにあまりいい気はしないかもしれません。

味方を歪曲して見れば、日本の未来を背負う子どもを物として扱ったとして捉えられても無理はないと思います。

実際に私たちの中での感覚も、“商品”と言われればそう言ったものをイメージしてしまうからです。

そう言った点で考えると、この言葉の選択は最適ではなかったのかもしれません。

ただ、そこに付帯する説明を見ると間違ってはいないようにも感じます。

そもそもの国家の義務教育という制度が、この牧田教育委員の意図を体現したような制度であり、国家力を高めるために重要なシステムだからです。

ただ、この議論の内容があまりにも残念でついため息をついてしまいます。

そもそも例え方としては広く聴衆の納得を得られないのであれば、不適切とまでは行かずとももっといい表現はあったはずですので、そこの点に関しては反省が必要かと思います。

しかし、この発言に対して指摘した火爪弘子県議が牧田教育委員に求めたのは辞任です。

日本の責任の取り方は辞任というような風土はあるとはいえ、これはこれで何が目的なのかとつい問いたくなります。

さらに、この要求に対しての返答が、「民間人で公職に就く人を議会で、名指しで批判するのは大変に不適切」とのこと。

これもこれでなんだか腑に落ちない論点ずらしの反論。

政治に関してあーだこーだと一介の教員が口にするのも変かもしれませんが、なんだか残念な気持ちになります。

「商品という言い方は不適切なのでは?」

「確かに意図が伝わらなかったのであれば、合っていなかったかもしれません。どんな言い方が良かったですかね?」

「未来を創る卵?、日本の未来?、希望?」

「そう言った表現もいいですね、社会のためが子どものためでもあると言ったように感じます。」

こんな感じで平和に終われないものなのでしょうか、、、。

年々、教育にかけられる費用は減少しています。

しかし、少ない予算を切り詰めて捻出したり削ったりしているとはいえ、誰も教育を悪く、崩壊させてやろうとなんかは思っていないはずです。

教育が崩壊して得をする人はいないはずなのですから。

であればその最終目標を念頭に置いて、自分の立場や相手の立場を陥れるようなことをせず、ただその目標のために何が必要か、どうすればいいのかという話し合いをすることこそが建設的なのではないでしょうか。

「子どもは商品」と聞いて、あまりいい気分にならないのも事実。

未来を作っていく子どもたちの人間性を学校が磨く場所になっているのも事実。

表面的な小競り合いではなく、真の目標を意識した対話をしてほしいなと感じてしまった一幕でした。