先日の記事にも書きましたが、教育総合展EDIXに参加してきました。

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セミナー形式のものをいくつか受け、その学びと感じたことを翌日の学校でICT委員会(デジタル機器の導入や授業内のICT導入について議論する会議)にてシェアをしました。

私が受けたセミナーの一つです。

令和の日本型学校教育の構築を目指した戸田市の教育改革
 ~ICTをマストアイテム化した学びを中心に~
戸田市教育委員会教育長 戸ヶ﨑 勤

埼玉県の戸田市のさまざまな教育実践について共有していただきました。

↓戸田市の教育実践はこちら↓
https://www.city.toda.saitama.jp/uploaded/life/94455_185836_misc.pdf

何を感じたか

考える女性

まず、最初に感じたのは嫉妬でした。

これだけ手厚い現場の後押しを市単位でしてくれて、今回のように教育長が自ら出向いて市の教育の魅力を発信してくれる。

ただ「羨ましい」と感じました。そして同時にどことなく切なさ、そして落胆した気持ちがありました。

これまで、私立学校などの校長先生が表に出てお話をされると言う場面は多く見てきましたが、公教育を担っている教育長が出てこられるのを見たのは初めてでした。

自治体や地区単位でも教育への力の入れ方が変わってしまう現実に直面したようにも感じました。

学校内でも

青空と学校校舎

学校にいる中でも、教員間の熱意の差を十分に感じていました。

それは今日のICT委員会での報告の時でした。

同じように上記の戸田市の実践について感じたことを共有した時に、あった返答は「学校として何ができるのか」、「うちは私立学校だから関係ないが、、、」などの意見でした。

自分としては、教育界そのものを担って先導している気持ちでしが、そこの気持ちに大きな差があることに気づきました。

「あぁ、この人たちは目先のものしか見えていないのか、、、。」

別にそれが悪いと言う意味ではなく、ただ単純にその視野の違いに驚きました。

どちらの方が生み出すものが大きく、幸せを生み出すか

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皆さんは仕事にやりがいを感じ、生き生きと働いている人と、その日その日をただ意味もわからず淡々と働く人、どっちの方が幸せだと思いますか?

ピラミッドを建設のために重石を運ぶ奴隷の話があります。

ピラミッドを建設するときの奴隷3人A~Cに「あなたはどんな仕事をしているんですか?」と尋ねたとしましょう。そこにA~Cの奴隷は次のように答えます。
A「この重たい石を何往復も運ぶのが私の仕事です。」
B「この重たい石を運んで、ピラミッドを作るのが私の仕事です。」
C「この重たい石を運んで、歴史に残るような建造物を建てるのがワラシの仕事です。」

A~Cの中で、幸せなのは誰でしょうか?

誰が選んでも、間違いなくCだと思います。今日の会議で私はこの話を思い出しました。

何のために教員をしているのか

私が教員をしているのは、教育こそが未来を創り上げていく上で最大の力になりうるものだと感じ、そこに関わる教員も一緒に成長できる最高の職業だと感じているからです。

まさに子供も教員も含めて、教育の未来は無限大。

そんな、未来を創っていく一端を担える最高の職業だと思っています。

その瞬間を改めて自分自身でも、相手を通しても確認できた、そんな1日でした。