「クラスが荒れちゃって困っている」
「学級崩壊してて授業にならない!」
「子どもたちがクラスの課題に向き合おうとしない」
そんな悩みはありませんか?
そんな時に使える手法がクラス会議です。
実は本も出ている方法で、従来の学級会とは違った手法で生徒の自己決定の場になったり、クラスの問題点の把握、改善にもつながります。
しかし、多くの先生はクラス会議を先生主導の単に話し合う場にしてしまったり、進め方が分からず全員が意見を言える場にならなかったり…とやり方が掴めない方も多いでしょう。
そこで今回は、クラス会議の本の著者である、深見太一先生にクラス会議の目的やメリット、進め方などをインタビューしました。
このインタビューは2021年1月にLIVE配信で実施されたインタビューです。
深見 太一(たいち先生)
「対話でみんながまとまる!たいち先生のクラス会議」の著者です。クラス会議をやると自己肯定感 が高まる。友だちに助けてって言える。
日本各地でクラス会議セミナーやっています。
- 今回のインタビュアー:ソルティー(詳細はこちらをクリック)
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たいち先生の自己紹介
たいち先生、自己紹介とかをお願いしてもよろしいでしょうか
深見太一といいます。39歳、来月40歳になります。
子供は3人いて、小学生ばかり1年生3年生5年生の子供が3人います。
趣味はサッカーとサーフィンです。
サーフィンといっても寒いときは行かないので、夏だけサーファーで偽物ですけどね。
偽物、ははは
そんな感じです。
公立の小学校で13年間教員をしていて、4月から新しく私立の立ち上げにようって変わっていって、2021年4月にその新しい学校を開校しますっていう感じですね。
それはたいち先生が始めるっていうよりは、仲間と一緒に?
はい、資本を出してくれる会社があって、そこが「やりましょ」って声をかけていただきました。
すごいですね。
じゃ公立から私立に誘われて引き抜き、ヘッドハンティングみたいなものじゃないですか。
それを受けるのに抵抗はなかったですか?
抵抗はあまりなくてやっぱりワクワクしてたので、やってみたいなと思ってました。
面白そうだし、しかも僕、愛知県瀬戸市に住んでるんですけど、愛知県瀬戸市に私立ができるって事だったので、めちゃくちゃ面白そうと思ったんです。
けど、奥さんは結構心配をしていました。
心配しますよね(笑)
そうですよね。
「公務員だと思っていたのに」と言われて、1カ月半くらい話し合いを重ねて「じゃ、やりたいならやってみな」って言ってくれたって感じですね。
最終的に応援してくれるのはありがたいです。
そもそもクラス会議とは?
従来の学級会とクラス会議は違う
ありがとうございます。
もともと僕会社員もやってて、会議の仕方って習わないですよね。
習わないですね〜。
っていうのがあって、サラリーマンのときも会議が嫌いで嫌いでしょうがなかったですね。
毎週水曜日の午前中に会議があったんですけどめっちゃ叱られるか、めっちゃ褒められるかみたいなそのどっちかしかなくて。
数字ができていれば褒められるし、できてないと叱られる会議で気が重かったんですよね。
先生になってからも職員会議が不毛だと思っていて、もう止めてしまえばいいのにって思っていました。
ただ文章読みあげていくみたいで、何か意見を言うものなら煙たがられるみたいな。
なんのためにやってるんだろうというのがすごくありました。
先生になってからクラス会議を知って始めたんですけど、よく間違われるのが学級会です。
同じ特別活動の時間にやるものですが、大きな違いは学級会は机をこの字型したりとか、普通に前向きでやります。
それに対してクラス会議は椅子を丸くしてやるっていうのが、一番大きな違いがあるかなって感じですね。
いろいろ調べてきたんですよ。
クラス会議って心理学がベースになってるって聞いて。
そうですね。
アドラー心理学がベースになっていて、ポジティブディシプリンっていう考え方なんですけど、ややこしいですよね。
日本語で言うと「肯定的なしつけ」で、アメリカが発祥で全世界に広がっているんです。
ポジティブディシプリンはインドやエジプト、ブラジルなどいろんな支部があって、自分もそこのメンバーと日本のメンバーと一緒に活動もしてるんです。
何かっていうと、丸くなって話すことで「皆が平等だよ」とか「対等だよ」っていうのを表してるよって言っています。
というのも真ん中から皆同じ距離じゃないですか。
例えば意見の強い子やいつも発言する子が、主導権を握ってあとしゃべらない子はずっと黙ってるだけでなんか勝手に決まってっちゃうみたいなのがあって。
そこが一番違うかなというところです。
座り方によって全然違うんですね、話を聞いてると。
そう、講座をやるときに両方やってみる。
最初はスクール形式、一般でいう前向いて先生がいてっていう形式でまず15分くらいレクチャーをして、丸くなってやってみたりするんです。
これでどう感じ方が違いますかみたいなことを言うと、たぶん丸の方が皆の顔が見えますよね。
スクール形式だと背中しか見えない人がいたりとかで全然違っていて、そうすると「あーあの人はあんな服着てたんだ」とかって気づけることもあったりします。
自分事のようにとらえる
あと主権者教育っていって輪番制ともいうんですけど、ぬいぐるみを持ってそれを皆で回していくので、自分が喋る番が絶対回ってくるんですよ。
とても大事なことで学級会のシステムだと、声の大きい人とか意見の強い人が言って勝手に終わってっちゃう、勝手に決まってっちゃう、俺は別にやんなくてもいいやってなってしまったけど、こっちだと必ず自分もこう参加しないと進んでいかないので。
例えば日本の投票率がめちゃめちゃ低いじゃないですか。
これって「俺はやらなくても別に変わんねーや」っていうのがあって、別にいいやってなっちゃうんですよね。
でも丸くなって一人一票あるよってなると、「あっ自分もここに関わってるんだ」「クラスの子と決めるときには自分も関与しなきゃいけないんだ」っていうのがすごく分かるんじゃないかなっていう感じですね。
なるほどね、まずそういう所があると学級会とクラス会議って座り方があって、座り方が違うだけじゃないんですよね。
そうですね。
動かし方が全然違っていて、取り上げるテーマも学級会だと例えばクラスの事に限定して喋るけど、クラス会議は個人的な悩みも相談していいんですよ。
これがめちゃくちゃ面白いなと思っています。
例えば、「うちのお母さんが怖いです」みたいな相談を皆にするんですよ。
それは画期的だと思って、分かってない人が見に来ると「そんなこと皆で話し合うようなことじゃない」と叱られたりよくしたんですけど違うんですよ。
それを皆で話し合うことに意味があったりとか、価値があるってことなんです。
何がいいかっていうと、例えばお母さんが怖いみたいなことを誰かが相談したとしたときにその同じ思いをもっている子が何人かいるわけですよ。
その中にも「うちのお母さんも怖いよ」「そんなレベルじゃなく怖いよ」みたいなことを言い出して。
そうすると何か安心するっていうか、「俺だけじゃなかったんだ」って気づけるみたいです。
それ、大事ですね。
安心ってすごく大事だと思っていて、皆が共感してくれる、一人で勝手に家で暗い思いをして辛いなって思っていたものが、「A君もだ」「B君もだ」「Cちゃんもだ」みたいにうちのお母さん怖い自慢が始まるわけですよ。
「この前ケツ叩かれてさ」みたいなことを言いたいとか、「うちはゲーム隠されてさ」とか、すごく出てくるんですよね。
それって子供にとってめちゃくちゃ救いだし、困ってるときに皆に相談するとそういう風に皆が共感してくれたり、プラス解決策として「どうしたらお母さんと関係性を上手くやれるか」みたいなことを皆が考えてくれるんですよね。
逆に上手くいっているお家の人の子が、「うちはこうやってやってるから上手くいってるんだよ」みたいな話をしてくれました。
「じゃ、それやってみよう」となって、その中で相談した方がアイデアをもらって家に帰ってみるって感じですね。
クラス会議を始めたキッカケ
先生になってからいきなりクラス会議なんて知らないと思うし、やろうとも思わないと思うんですけど、たいち先生が「クラス会議って必要だな」「よしやろう」ってどうしてやろうと思ったのかをぜひ教えていただきたいです。
はい、ありがとうございます。
僕がサラリーマン3年やってて教師になって、意気揚々とはいってきたんですよ。
「教育界俺が変えてやるぜ!」ってサラリーマンあがりだしみたいな感じでやってたんですけど、何にも通用しなくて本当に子供達も全然言うことを聞いてくれなかったり、授業も面白くなかったり信頼も全然得られない。
職員室でもそんな状態だから「どうしていんだろう」みたいな気持ちはすごくありました。
あー、ありますねー。イケるじゃろって思ったらイケないやつ(笑)。
1年目なんか特に子供とたくさん遊ぼうと、サッカー好きなんでサッカーやろうと思って、仲良くはなれるんですけど、仲良くなれすぎるとなめられる問題が出てきたんです。
「じゃ宿題とかいらねーからやめようぜ」みたいなことを言われて、「あっ、めっちゃなめられてるな」ってすごく感じました。
仲良くなったぶん、やんちゃくん達にめっちゃなめられてると思いました。
主任の先生が出てきて「あんな風にゆるくしちゃうからダメなのよ」とか叱られて、「もっと厳しくしなさい」とかって言われました。
なので、次の日からこうキャラを変えて「お前ら!」みたいな風にいうと、子供達の心がぐっとこう離れてるなって感じたんですよね。
「これどうすりゃいいのさ」みたいな。
仲良くしたらなめられるし、厳しくしたら心は離れていくし、どっちにふればいいの、何をどうしていいか分からないみたいなことは結構最初の1年目は続いていました。
どっちにしても上手くいかないことがあって、普通にしていれば良かったんですけど、でもそれをどうしようって時にいろんな教育書とか講座とか出てる中でクラス会議に出会いました。
なるほどー。たしかに1年目では悩むかもしれませんね…。
先生って1個1個対応してると間に合わなくなってくるんですよね。
例えば「消しゴムを隠されました」「ハサミ貸してくれません」みたいなこととか「ちょっかいかけてきます」みたいな細かい問題がもうむちゃくちゃ起こるんですよ。
それを1個1個先生が出てって対応してると、授業なんてやってられないぐらい問題が頻発してくるんですよね。これはどうしたらいいんだろうみたいな。
30人の子供がいて先生1人でこれをどうやってさばくっていうか、こう解決してしていったらいいんだろうっていうのもあって、そのクラス会議に出会ったときに「あーこれだ」って思ったんですよね。
何がいいかっていうと起こった問題を皆で勝手に解決してくれるっていうのはすごく大事なんです。
先生がいちいち審判みたいに入っていて「これはこうこうで」でみたいなことをしなくても、見て座ってるだけで最終的には皆で解決してってくれるみたいなことがいっぱい起こって、これはめちゃくちゃいいなって思いました。
結局その力ってこの子達が大きくなったときに必要な力じゃないですか。
そうですね。
自分がずっと担任してるわけじゃないですからね。
それを子供達にその力ついていけさえすれば、大人になって困ったときには「助けて」って言えたりとか、問題を解決していける子供達が出来るなーと思って、始めたって感じですね。
なるほどすごいですね。
確かにでもあるあるですね、皆言ってますよ「教員あるあるです」とか。
はははは、本当に問題がいっぱいある。
昨日も初任の子と喋って「ちょっと悩んでます」って喋ったんですけど、どうしていいか分からないって、本当トラブルが起きまくるみたいな、ケンカしか起きないみたいなことをずっと言ってて、「確かに1年目はそうだったな俺も」と思いました。
だけど、クラス会議で話しあっても、ケンカは起こるんですよ。
ケンカが起きないわけじゃなくてクラス会議やっててもケンカは起きるんですけど、ケンカが起きたときに皆で話し合ってくれることで、同じ問題はもう1回起こさない空気ができあがるんですよ。
皆の中で、「あん時話し合ったじゃん」みたいになって、殴らないとか怒ったときにも「「やだよ」って言えばいいじゃん」みたいな解決策を皆で言ってくれるんです。
ケンカは起こるんだけど、ケンカが学びの機会となって次に生きてきますね。
クラス会議の目的
一番は自己決定の場
なるほどね、いいですね。
じゃ、クラス会議の目的って自分達で課題を発見し、それを解決していく能力だと思うんですけど、ネットで見ると、クラス会議はしつけの時間だからって書いてあったのを見たんですけど、クラス会議の目的ってそれで合ってるんですか?
しつけの時間、さっきのポジティブディシプリンを翻訳すると肯定的なしつけってやつ語弊があると思います。別にしつけの時間ではないかなって。
一番は自己決定の場だと僕は思っているんです。
というと?
自分で決めるみたいな、先生かこうしなさいといったことをやるんじゃなくて…。
例えばさっきのお母さんが怖いって依頼を出した子が、いろんな解決方法を皆から出されました。
お花をつんであげようとか肩もみしてあげようとか、お手伝いしてあげようみたいなことを言った時に、悩みを相談した子が自分で自己決定をまずするんですよ。
その中から「これお手伝いします」みたいな自己決定をして、1週間やってみてそのお手伝いをしてみて、翌週にもう1回そのクラス会議の最初の時に「先週話した事どうだった?」みたいなことを聞いて、「あっ、お手伝いしたらお母さんめっちゃ優しくなったよ」みたいなふうにこうやっていくみたいなのが一番かな。
自己決定はすごく大事かなと思ってます。
なるほど。でもそれはさっきの話に全部通じてきますね。
決定ってどうしても「自分からこうーこうしなさい、あーしなさい」っていう感じが強いですけど、自己決定もそうですし自分で課題を発見したりとか共有したりとか、解決策も共有したりとか最終的にそれ踏まえての自己決定だからすごいですよね。
一番大事な気がしますね。
議題箱を通じてクラスの問題点の把握
あと勝手に子供達が問題を見つけてきてくれる。
議題箱っていうのがあってですね、教室の中にポストみたいなものを置いとくんですよ。
そこに紙が置いてあって、悩みがある子は紙に書いて入れて、それをもとに皆で話し合うんです。
へぇ〜。良いですね。
そうすると先生が気づけていないこと、例えば影でコソコソしているいじめとかがそこに書いてくれるので、投函してくれると全然気づいてなかったけどAちゃんとBちゃんいじめられてたんだみたいに分かるんですよね。
それをもとに皆で話し合いをするので、もしかしたら知らないまんま1カ月2カ月経過してAちゃんとBちゃんがめちゃめちゃ傷ついていましたみたいな。
それで3カ月後に保護者から大クレームなってから
「うちの子傷ついてるんですけど先生知らないんですか?」みたいなことを言われて、全然気づけない場合もあるんですよね。
だっていじめって先生がいないところで、ひそかに行われるもんですからね
そうですね。
その議題提案箱があることで先生にチクった感が出ずに悩んでいるCちゃんがこっそりそれを書いていれてくれるんですよね。
そうすると、皆いじめられてることに気づけて、皆に共有されて「どうしたらいい」みたいな話し合いがくりひろげられるので、いじめにも効くと思っています。
うん、それはいいですね。
そうそう、もう1個いいことは例えばAちゃんとBちゃんをいじめてたD君って子がいるとするじゃないですか。
その議題をやるときにも別にD君をつるしあげるわけじゃないんですよね。
D君の名前は言わずに「AちゃんとBちゃんが傷ついて、いじめられてるみたいなんだけどどうしたらいい?」みたいな事をD君の名前絶対出さずに皆で話合うんです。
え、それって解決するんですか?
でも、皆は分かってるんですよ、D君がいじめてるっていうのを。
だけどD君を責める会議ではないので、どうしたらD君がいじめを辞められるかってことにフォーカスするんですよね。
問題行動にフォーカス出来るから、何か優しくなれるというか、普通に話し合っちゃうと皆がD君の悪い所を言い出すわけですよ。
「あいつが悪い」とか「あいつがやってる」みたいなことになるんだけど、そうじゃなくて「どうしたらいじめや問題行動がなくなるのか?」にフォーカスした話合いができるので、これもめちゃくちゃ大きいなと思います。
究極の授業じゃないですか、それ。
そうなんですよ。
だから僕Twitterにずっとトップに貼ってあるのは、10回道徳の授業やるよりも1回クラス会議やったほうがめちゃくちゃ効果は高いと思う。
別に道徳を否定するわけじゃないんですけど、なんか人ごとなんですよね、道徳の授業って。
そうですね。
無理やり物語をもってきてこれについて皆で話し合おうみたいなことを、上手くいけばいいのかもしれないけど、「あんまり関係ねーし」みたいな子もいるわけですよ。
クラス会議はその中で起こっているリアルな話なので、絶対全員に関係してるんですよね。
自分に関連しているほうが道徳的に考えますよね。
本当にそうなんですよ、いじめ問題でいうと被害者であり加害者であり傍観者じゃないですか。
必ずそのクラスの皆どれかに一致してるんですよね。
だから話し合いがちゃんと成立するし、自分に関与していることだっていう話し合いになっていくんですよね。
これはね画期的ですよ、やってくれればいいのになってすごく思います。