私の子供たちは遊ぶの大好き。宿題をまったくしない子供たちで、先生からめちゃくちゃ怒られてます。
しかし、そんな子供たちから「どうして宿題をやらなくちゃいけないの?」と聞かれたことがありました。
私たちのような親世代は宿題はやるものと最初から決めつけているかもしれませんが、その理由をあらためて聞かれて私は戸惑ってしまいました。
子供とすれば、すでに見たことがある漢字や問題。延々と繰り返し、さらに毎日出てくる宿題に嫌気が指しているのでしょう。
しかし、やらなければなりません。
それがなぜなのか…。私はその時、答えられませんでした。
そこから時間を経て導き出した答えは本当に子供のためになる宿題をするべきということです。
宿題とはそもそも何なのだろう?
1 家庭でやってくるべきものとして教師が児童・生徒に課する、学習上の課題。「夏休みの宿題」
2 解決が後日に持ち越された課題。「その件は今後の宿題にする」
出典:宿題 コトバンク
授業の課題のことを席題とも言うらしいのですが、それに対して家で取り組む課題のことを宿題と言います。
宿題をすることで、授業でのやり残しや、授業での反復練習につながり、知識の定着化が図れるのです。
問題点は全員一律の課題が出ること
宿題の問題点は一人ひとりのペースとは無関係に、全員一律の宿題が出ることです。
確かに足並みは揃ってるように見えますし、宿題をクリアしてくる子も多いでしょう。
ただ、できない子は置いてけぼりになりがちです。
軽度発達障害の子にはとても辛い宿題
私の子供には軽度発達障害と疑われている子がいて、主にこんな行動をしてしまいます。
- 漢字を読むのは難しく、書いてある文字も何が書いてあるのか分からない
- 2年生になるが、一桁の足し算、引き算にも苦戦してしまう(結局、6年になっても3桁の計算が難しいです)
- 繰り上がりの計算は特に意味が分からないらしく、適当な数字を言ってくる
- 頭の中で「答えが分かった!」と思っても、書く頃には答えを忘れてしまう
- 集中力がなく、すぐ遊びたがる
このような子に一律に行われる宿題は、ものすごく苦痛だと言うこと。
特別支援学級にも行けない、通常学級の学習にもついていけない。
納得していない、腑に落ちていない知識の習熟度合いを見ることに意味はない気がします。
このような状況だと宿題をやる必要性はどこにあるのだろうか…と本気で悩んでしまいます。
宿題が親のイライラを募らせる
宿題が子供だけで頑張れるのであれば良いのですが、「これ分かんなーい」と答えを聞きにきます。
たまには良いのですが、毎回だとやはり親も大変です。
それでも何とか時間を作って丁寧に教えるのですが、ほとんど自分で考えず答えだけ聞き出そうとする子供の態度に親はイライラしたりするものです。
そこで、親は「今は忙しいんだ」と子供を突き放します。
そうすると自然に行われる行動は……ドリルの答えに手を伸ばします。
悪知恵は働いていますが、習熟度としては少ない…。
そういった不満から親はさらにイライラを募らせてしまいます。
宿題は子供の状況によって保護者の意見が変わる
私は宿題は必ず出されていて、宿題は必ず消化するものと思っていたのですが、中にはこんな声をもらう先生もいるようです。
「書ける漢字の書き取りに何の意味があるんだ!」
「誰でもできる計算問題を山のように、宿題として出すな!」
つまり先程の効果はもうできるようになっている。十分勉強をできていると言う保護者もいらっしゃるようです。
しかし一方で
「宿題がないと、子供が勉強しないから、もっと宿題を増やして!」
という声もあるようで、一筋縄ではいきません。
勉強方法が多様化したからこそ?
昔は学校でしか勉強できませんでした。だからこそ、学力にそれほど大きな開きが出ることはなかったのかもしれません。
しかし、今は学習塾などで勉強方法が多様化し、学校で習っているところの先まで分かる子も増えてきました。
そうすると、宿題自体に大きな学習効果は見られず、「塾も頑張ったんだし…」ということで宿題自体をやらせない保護者もいるようです。
宿題をやらせると悪影響がある?
確かに宿題をやる時間が長すぎてしまうと「遊ぶ時間」がなくなってしまいます。
私は遊ぶ時間は大事だと思っています。
カラダを使って体感をすること、友達といろんなコミュニケーションをすることは非常に重要な学びだし、実際にそれが大人になっても大事だからです。
やらされて行う勉強はやる気も起こらないので、確かに学びは少ないように感じます。
※効果0とは言いませんが…
実際、私も宿題のことはほとんど覚えておりません。
しかし、宿題が絶対必要ないかと言われるとそれもノーだと思っています。
「必要だから学ぶ」
このように自分の中で目的がハッキリした時、自ら進んで勉強をすると効果的なのは間違いありません。
宿題のメリット
では、宿題のメリットとしては一体何があるのでしょうか?
宿題をやらせることには以下のような4つの効果があります。
1.勉強するという習慣を付ける
宿題の目安は一日30分程度で終わるものがほとんど。一定時間以上、ある決まった時間に勉強を行うなど、勉強自体を習慣化するのに効果的です。
継続は力なりという言葉の通り、繰り返し学習は知識の積み重ねに非常に効果があります。
2.知識の定着化
その日で得た知識というのは一日で74%も忘れてしまうそうです。
記憶の定着化についてはこちらをどうぞ。
これを定着させるのが繰り返し学習。
何度も繰り返し行なったものは忘れにくくなります。
3.自分で考える力の向上
いつ宿題をやるべきか。宿題は何分くらいかかりそうか。いつまで遊んでいても大丈夫か。
宿題を早めに終わらせてしまう子もいれば、宿題を必ずやらない子もいます。
前者は宿題に対して何かしら考えた結果の子。後者は宿題を頭の中から消してしまっている子です。
宿題という媒体があって、自分でどうするべきか考えるキッカケになります。
4.授業理解の深まりと、確認
授業をしただけでは理解ができていない子もいるかもしれません。
落ち着いて宿題に取り組むことで理解度が増し、本当に理解できているかどうかの確認にもなります。
アプローチ1:宿題の出し方を変えてみる
『お母様方は先生に当然の要求のように「学力をつけてください」とお願いします。(中略)先生もまた「学校としての成績を上げよ」と教育委員会や校長から命令されて、さらに宿題を課していきます。その結果、親も先生も「宿題をやらなければならない」と子どもを追い込んでしまうのです。』
出典:宿題は何のためにするの?泣くほど嫌がる長男を救った1冊の本
これを読んで感じたこと。もしかしたら宿題は大人の勝手な都合なのかもしれない。
それは子供にとって必要性が分からないのは当たり前かもしれません。
だったら子供たちが「学びたい!」、もしくは「今、必要!」と思えるような子供の気持ちに寄り添う学習をする宿題があっても良いのではないか?
そう考えるようになりました。
自分で宿題の内容を考える秋田県式学習 一人勉強ノート
一番私が注目しているのはこれです。
宿題の内容がなく、自分で何をやるかを考える方法です。
一応、1ページ書いてくるというルールがあるようですが、何を書いてもOKのようです。
これは秋田県全域で行われている宿題のやり方のようで、自分で得意なところを伸ばしたり、苦手なところを克服したり、4コマ漫画を書いたりと、人によって何を書くのかが全く違うので、それぞれの個性が伸ばせると評判です。
「こんなことしていたら学力が低くなってしまうのでは?」と思う方も多いようですが、全く逆で全国学力調査で2年連続1位になったキッカケなんだとか。
タブレットを使ってみたらどうか?
とにかく動画や、アプリをフル活用し、学習をやらせてみる方法です。
今では幸いにしてこのような学習コンテンツは無料でたくさんあります。
そして、子供たちもデジタル端末の扱いは上手で、やり方を覚え、スイスイと動かしています。
集中力が続かないようなウチの子供でもなかなか効果は高く、しっかり見てくれます。
アプローチ2:宿題に対するマインドを変えてみる
一生懸命仕事をして、家に帰ってからも仕事……だったら大人もイヤですよね。子供だってそれはイヤなのです。宿題という言葉がもしかしたら勉強嫌いを生むのかもしれません。
このように「勉強」、「宿題」という言葉を使わない方法や、他の方法もあるかもしれないと思い、宿題に対する考え方を模索してみました。
宿題は大人からの子供への頼み事と思うのはどうか
先程の秋田県の一人勉強ノートのように宿題の内容を自分で考えるというのは、非常に素晴らしい効果があるのは分かりました。
しかし、ほとんどの学校はそのような方式で宿題を出しているワケではありません。
では、一体どう考えていけばよいかのか。
そこで、宿題の大切さは学力向上だけではなく、私は子供の人間性を高めることに意味があると視点をちょっと変えて見るようにしました。
そして見えたもう一つの側面が“頼み事”です。
私の好きな言葉で「頼まれごとは 試されごと」という言葉があります。
頼まれたことは基本的に相手を信頼し、できると思っているから頼みます。
もし、その時点でできる力がなくても相手の頼み事を何とかしようと思う時、大きな成長のチャンスとなりやすいのです。
もし、この頼み事を無視してしまった場合、頼んだ相手からガッカリされ、自分の成長のチャンスも無くしてしまいます。
これはきっと大きな損失になるハズ。
学校の宿題は絶対にできないワケではない
大人の世界ならば、いくら頼み事だとしても、能力的に、予算的に、道具的にできないということが分かれば断ることも良い判断だと思います。
しかし、子供に課される宿題は基本的に授業で一回やったものしか出てこない。つまりやり方は分かっているハズ。
もし、解き方・やり方が分からなくても助けてくれる大人や、友達はたくさんいる。
宿題ができなければ目的達成のために巻き込む力が身につく可能性があるので、逆に宿題ができない方が大人になってから役立つ力が身につくかもしれない。
塾などに通わせるのは良いでしょう。しかし、それはあくまでも自分たちの都合。
おろそかにしてはいけない学校の宿題を無視する理由にはならないと思います。
学習塾は確かに学力が身につきます。宿題は学力というよりは復習の意味合いが強いので、学力向上の面では学習塾のほうが良いかもしれません。
しかし、宿題は宿題でしか学べない側面があると思っています。
宿題をやってこなかったと知った先生はどう感じるでしょうか?少なくとも喜んでいる先生はいませんよね。
そのことを子供たちに想像させるのも良いかもしれません。
親が家庭から先生にアプローチする
ちゃんと宿題を見ていれば、子供の学力がある程度分かっているハズです。
だったら先生と宿題に対して相談してみましょう。
すでにペースが遅れている。しかし、無理にペースを合わせようとしても難しい。
子供もそれは分かっているけど、できないと思って自信喪失につながってしまう。
ならば、するべきことはたったひとつ。
親が子供のできるを増やしてあげることではないかと思います。
学校の先生と相談し、宿題の出し方を工夫するために家庭内努力をすることも大事なのではないでしょうか。
宿題ができなくてもダメだと思わない
宿題ができなくてもダメだと思わないということも大事かもしれません。
宿題ができないということは何か悪いことをしたワケではないんです。
自分の子供が大事だと思うからこそ、「みんながやっているんだから」という気持ちを取り去ることが必要だと最近思うようになりました。
宿題は自分の足りないところを自分で見つけることが狙いで良いのでは?
「宿題ってなぜやるの?」
私は「学校の先生との約束だから」と答えています。約束はやぶって良いものではありませんよね。
さらに発達障害を抱えた子には、その子ができるところをやって、自信を少しずつつけていくようにスタイルを変えました。
宿題は最終的に子供のためになると思っても、結局、大人の都合で行われるもの。
どちらも楽しく行うために子供も大人も「どうして宿題をやるのか」という目的をハッキリすることが大事なのかもしれないと最近強く思うようになりました。
- いつ勉強するのか?
- どこで勉強するのか?
- 誰と勉強するのか?
- 何を勉強するのか?
宿題はこれらが自由。
自分のできるを伸ばしていくことを自分で考える力こそが、宿題の一番の狙いだったりするのかもしれません。