皆さんは、学習障害と聞いてどんなことを思い浮かべますか?
親にとって子どもが幸せになって欲しいと思っていますが、その子どもが学習障害だった!なんて受け入れるのは難しいものです。
特に難しいのは「これって学習障害なの?」「え?努力が足りないだけなんじゃないの?」という線引ができず、認められない!と思ってしまうこと。
気持ちとしては理解できますが、子どもにとっては苦しい選択をし続けることになってしまうかもしれない…。
自身の体験を『かなわね』という絵本にまとめた著者の大橋美沙さんを影で支え続え、お母さんである大橋美穂さんにインタビューをし、どうしてかなわねを出版するに至ったのか、親として子どもとの向き合い方や、学習障害を理解するとはどういうことなのかを聞いてみました!
大橋美穂
子どもの発達に寄り添う専門家。
2女の母。お母さんの共感覚とイレギュラーを受け止める人。
絵本『かなわね』の出版を影でサポートし続けた。
大橋美穂さんのプロフィール
今回はインタビューを受けてくださって、ありがとうございます!まずは自己紹介をお願いできますか?
はい、大橋美穂です。娘が二人いて、2020年現在、就職した23歳の娘と、今大学2年生の次女がいます。で、次女がいろいろ発達障害と言われるものやら、学習障害と言われるものやらを持っていて、そんな彼女が高校の時の課題で描いた絵『かなわね』って言う本を自費出版しました。
大橋美穂さん自身は何をやってらっしゃるんですか?
普通の主婦というか、2年前までは某大手損保代理店の事務をやっていました。今は子どもの発達に関わるお手伝いをさせていただいているのと、娘たちがこう絵本を描いたので、絵本を手にとってくれる場を広めたいなと思って動いています。
自費出版で出したんですよね?
うん、自費出版。
へー。すごいですね、自費出版でやるってなかなかないですよね。
すごい決断する時は迷ったけども、えーい、やってしまえっ!って感じで(笑)。
やってしまえ。なるほど(笑)。
絵本『かなわね』がどのように作られたのか?
絵本って、さっき高校生の頃の話がありましたけど、どのようにして作られたんですか?
最初大学2年の娘が通信制の高校に通っていたんですけど、そこで課題で夏休みにちょっとやってて、まだ全然形にはなっていなかったんです。
ただ、話だけは全部できていたので、それを読んだ時にそれが私、昔の娘が小学校3年生の頃の話を書いていて、「あ、これはやっぱり伝えたい」って心を動かされたからかなぁ。
普通は世の中に出すまでもない作品として持ってくるじゃないですか?持ってきても大体は「ああ、よくできたねー」ぐらいで終わっちゃうところを、どうして絵本に本格的にしようと思ったんですか?
彼女の葛藤だったり、「彼女がそういう世界を見ていたんだな」っていうこと、あ、こういう世界見ていたんだなってことに気が付いたっていうのと、やっぱりこれは色んな人に知って欲しいっていうので、ああ、これは絶対色んな人に広めようっていうふうに思ったんですよ。
その時、本人からは「えー」とかはなかったんですか?
なかったですね。ていうか、「やるんだ」みたいな感じ。なんかそういう抵抗もなかった感じ。
「やりたいんだったらやったら」みたいな感じかな。
あ、当事者だった本人は最初はノリノリで「じゃあ、やっていこう!」みたいな感じにはならなかったんですか?
ないないないない。っていうか、どうやるのかっていうのが分かっていなかったって感じかな。
なんか本にしたいっていうから「ふーん」っていう感じでしたね。
本にしたいって言ったのは美穂さんですか?
あ、そうです。私がもう本にしようって決めたんです。
だけど、本にするって言って、どうやったらできるんだろうって最初調べたら、やっぱり製本するにはかなりのハードルが高いし。
そうですね〜。最初の難関ですよね。
金額的にもちょっと高いっていうので、どうしようかなって思ったら、最初はフォトブックが目に入りました。
ああ、フォトブック。
うん、要は写真を冊子にする感じ。カタログみたいな薄い冊子があったから、じゃあ、それで携帯でとりあえず絵本を写メして…、それでフォトブックを作ろうって言ってこれを作ったの。この薄い感じ。
なるほど、これがフォトブックなんですね。つまり試作品第一号!
本当はもっと荒いやつがあって、それで出していたんだけど、もうちょっときれいなやつで出したいっていうので、いまのその形になりました。
なるほど。色んな改訂が加わっていったんですね。
なんか友達が「ちゃんとした本にすればって」言ってくれて。その自費出版じゃ結構有名だっていう文芸社に原稿持ち込んで、「まぁ、これだったら自費出版だったら出せますよ」って言われて。
自費出版だったら『出せますよ』って言われるんですね。
そうそうそう。くださいではなかったので、お金もどーんとかかって、一瞬どうしようと思ったんだけど…「いいや出そう」って。
払おう!その決意ができるのがすごいですよね。自分のためじゃないのに!
そうそうそうそう。
へー、そうすると印税ウハウハっていう感じではなく。
じゃない、ぜんぜん(笑)。
親心も混じった自己達成感の側面もあるんですね。それで、なんていうか世界が変わる人がたくさんいるわけで。大きな決断でしたね。
そうでしたね。ていうか、変えようっていうより、私自身がそういう世界を見てみたいっていう想いで作ったって感じですね。
素晴らしい!
絵本『かなわね』の著者の美沙さんについて
美沙さんの学習障害ってどんなもの?
美沙さんってどんな障害があったんですか?
まず、小さい頃はとにかく色の識別ができなかったんです。赤とか青は分かったんですけど、それが幼稚園入る前ぐらいの時に、緑とかオレンジとかっていうのは分からない。
「なんで分からないんだろう?これ何色?」って言ったら、赤とか青とか言えるけど、緑とかオレンジっていうのは「わかんない」って言ってて、「え〜?」っていう感じです。
最初は色覚が分からない感じだったんですね。
幼稚園入ってからは、普通の子ではあったと思うんだけど、でもよく観察するとみんなとワンテンポズレてるし、先生の指示も頭に入っていなかったって感じ。
みんながちゃんとやっているのに、ひとりでぼーっとしているし、キョロキョロ見回している。
なんかクラスに一人くらいはいる感じの子ですねぇ。幼稚園だったらたしかに気にしないと気にならない。
そうそう。でも「まぁ、下の子だしなぁ」と思って見ていたんですよ。
で、1年生に入った時に7が抜けていたんですよ。1,2,3,4,5,6の7がなかったんですよ。
へー、1,2,3,4,5,6,8,910だったんですね。
そうそう。「なんで7が抜けるんだろう?」って感じで見ていたんですけど、ちょうど1年生になった時に私、仕事を始めたばっかりだったので、がっつり見てあげるっていう余裕もなかったんですね。
その頃からですよね、お母さんが働き始めるの。たしかに学校に任せちゃうかもしれない。
そう。宿題とかもやってたけど、なんかその時はそんなに大変そうには見えなかったんですね。普通にそんな勉強のこととかも、私構っている暇がなかったので分からなかったんです。
お母さんはその頃からじゃないと仕事できないと思う人も多いし…、たしかに見てられないかも。
2年生になった時にお姉ちゃんの担任だった先生が、今度は美沙の担任になったので、密に話をすることになったんですけど、「美沙ちゃんってなんか授業中にぼーっとしちゃうんだよね」って言われて。
あ、そこで気づいたって感じなんですね。
そこで初めて「えっ!?ぼーっとしちゃうってどういうことだろう?」ってなったんです。
ハンデがある子って、私自身の認識では多動に動き回っている子だったんです。集中できないっていうのは、そういう風になんかこうじっとしてられない子だって思っていたんですよ。
うん。ADHDってやつですね。(僕だ…(笑))
そう、でも逆だった。
先生曰く、「ぼーっとしちゃう」って言われて「えっ、ぼーっとしちゃうってどういうこと?」って言ったら、それくらいから先生の指示とかがいろいろ入っていなかったっていう状況だったんです。
あー、ボーッとするというか、じっとするっていう子の免疫が美穂さんになかったんですね。
そう。「でも、まだ2年生だし、これから追いつくだろうな」って思ってたんですけど、先生自身は「ちょっと見てもらった方がいい」とかっていう形で言っていたんです。
まあ、信頼はできる先生からの提案だったから「分かった。じゃあ、そうする」っていう感じではやっていました。
最初は受け入れがたいですよね。
そうかも。私自身は「まぁ、そうやっても別に普通っていうか、ちょっと遅れているぐらいかな」って思っていたんです。
でも、2年生の3学期の時に、彼女がボソッと「ねぇ、私ってなんでバカなんだろう?」って。「◯◯君とノートを取り替えたら、頭良くなるかな」って言ったんですね。
ついに本人が自覚し始めちゃったんですね。
その一言で私は「あっ、もしかしてこの人すごいもの見ているんじゃないか」って気がして、そこでようやく、もしかしたら何か持っているというか、周りの子とちょっと違うのかなぁって思ったんです。
なるほどー。本人が気付き始めると周りが変わるキッカケになるのか…。言えたのがすごいですね。
その時にちょうどある本があって、それを見たら『ディスレクシア』っていう状態。漢字を書いても書けないし、読んでも読めないしっていう状態はずっとあったはあったんです。
うん。まだまだ認知されていない障害の一つですね。
その辺って「やればできる」って思っていたから「障害とかハンデがあるとかって、とにかくやればできる」って言っていたんです。
でも、その彼女の自身が「なんでバカなんだろ」って言った時に、「あ、それってやればできる」とかそういう問題じゃないんだっていう気づきになったというか。
あー、だからこの本のタイトルの”かなはね”が”かなわね”に繋がってくるんだ。
うん、そうなんです。
美沙さんから母親への相談のタイミング
本を読むと「もう大丈夫だよ」みたいな話になってくるんですよね。母親としてどう感じてどう接したのかをシーンを切り取ってみて、お話ししてもらえると嬉しいんですけど。
実は本の中の物語とは違って小学3年生の主人公で、先生の時も物語と同じような状況ではあったんだけど、私自身は「それでいいよ」って言えなかったんです。
あ、言えなかったんだ。じゃあ、絵本の物語は実際に起こったことじゃなくて、こうなったらきっとこうなってただろうってパラレルワールドを描いているんですね。
言えなかったなー。それこそ今、私がこの絵本を持って、この時の私に「こうなるから大丈夫だよ」って言ったとしたら、私は多分「はっ!?ふざけんなよ、この状況でわかっている?これがどうして大丈夫なの?」って言う風に多分怒ってたか、もしくは「私、こんな風に優しく受け止めているお母さんじゃない」ってなってたかなって言うと思う。
これとは違うお母さんなんだ。ある意味、必死だったんですね。
うん。鬼だった。
「漢字をとにかく書かせなきゃ。宿題はとにかくやらせなきゃ。周りの子はできているんだから」ってなってた。それが「あんたなんでできないの!!どうして読めないの!!!」って子どもに当たってた。
周りとの差を見ちゃってたんだ。その子ではなくて。
そうそう。だから多分、最初に学習障害とかつまづいているお母さんと一緒。もしくはそれ以上にもう「やれやれ!」って言ってる。
でも、彼女は宿題で漢字練習あるってなった時はやっぱり泣いているんですね。本人はやってもできないって分かっているから。
美沙さんの中に存在しないものを認識しろってどうしていいかわからないですもんね。
だけど、私は泣いたからと言って「それをやらなくていい」とかそう言うのは一切なかった。
鬼だ(笑)
確かに鬼だ(笑)。
毎日本当に17時のキンコンがなると同時に宿題って言って始めていたんですけど、まず、しくしく泣き出し、そのうち「ふっふ、うえ〜ん」って言う感じになり、最後に「うわぁーん」ってめっちゃ大泣き。
で、それをやり切ると練習始めるみたいな。だから、もう泣きの三段活用かって当時は思ってましたね…漢字練習の儀式かなって言うのが本当に毎日毎日。
ひとしきり泣いてから、やっとしょうがないって悟って始めるんですね。
て、いう元でやらせていたら、だから17時から始めて大体19時、20時くらいまで泣いてたかな〜っていうことを私はやらせてた。
うわ…これ、ほぼ毎日ですよね?ロングコースですね、3時間も…なるほど。
うん、それでもやらせてたんですよね。
だけど、その時も普通の縦に10個書いて、次の漢字10個書いてって言うやり方をしていたんですけど、それだと入らないタイプだったので、なんかただ10個書いて、じゃあそれが書けるかって言ったら、それがまた書けなかったんですよ。
普通はできそうなことができないってことですね。
そう、「なんで書けないんだろ?」って思って、「このやり方じゃダメなのかな」って散々泣きの儀式を繰り返したのちにふと気づいて、5問あったら、1問、2問、3問、4問、5問って言うのを1ターンで書くようにしたら、なんかそれで入るようになったっていう感じ。
試行錯誤を順々に試していったんですね。
そこで、週の漢字テストは合格できるようになっていったので「あー、ほら、やればできるじゃん」って言う感じでなっていったんですけど。
それでも、鬼だったんですね。
鬼でした。ふふふ。
美沙さん自身の学習障害『ディスレクシア』の捉え方について
個人的に気になったんですけど、こういう風に決められちゃって、いじめられたわけじゃないんだろうけど、いろいろあったと思うんです。実際お子さんって不登校とか休みがちになりませんでしたか?
それはなかったですね。
先生とのやり取りが結構あったんです。5年生の時の担任の先生がいろいろあったんだけど、帰ってくると「先生がこんなこと言ってた」「こんなこと言われた」とかいろいろ言われたんです。
まぁ、よくありますよね。親も「どうだった?」って普通に聞くし。
私自身も「うー、マジか」みたいな感じで、学校とやり取りをちょっとしていて、ある時、先生になんか言われたことがあったのか、療育に行く車の車中で美沙がポロポロ泣き出して。
おお、どうしたってなりますね。
そこまで泣いてんだったら「もう学校行かなくていいよ」って私言ったんですけど、もう泣きながら「行くうぅ〜」って。
そこで彼女自身がいろいろ感じてて休みたくなかったって感じなのかなぁ。
そういう嫌な思いをしていてもそういう風に前向きに行ってたし、そういう意味では彼女はそれを自分で体験しているって感じかな。
そうなんだ。でも、何か諦めたくないものがあったのかもしれませんね。後々、響いたりしませんでしたか?
引っ張るというか、感覚的に残っていることはあったけど、それでも学校は行ってたんですよね。
でも、高校でやっぱり先生とちょっとあって、その時にやっと不登校になったというか「学校行けない」っていう風になったこともあったなぁ。
小学校の頃はそこは負けずにっていうか。私はひたすら聞いて、次の日にスクールカウンセラーの先生に電話してみたいなことはやってましたね。
美沙さんが不登校になってからの対応
何がポイントだったと思います?今、不登校ってめっちゃ多くなってるじゃないですか。学校行かないっていう選択を親がいろんな苦労するじゃないですか。周りと違って…とか。どうして美沙さんは負けずに行けたのか?
あー、でもねぇ。やっぱりそこで美沙は無理してたかなって。
そうなんだ。
だから高校になって行けなくなったんですよ。
先生とのちょっとしたやり取りで、たまたま駅まで迎えに行って、車乗るなり、またバーって泣き出して「明日から学校行けない」っていうのがちょっとあったんですね。
小学校の頃はやっぱり無理してたっていう部分はあったのかなぁ〜って気がします。
無理してたのに自分で気付いたってことですかね。高校の頃に行けなくなって、今は行っている?
行ってますね。
やっぱりフラッシュバックしちゃったりってこともあったんですけど、私それ見てて心配だったけど、とりあえず「どうしても良いよ」「どうやっても良いよ」って感じは出してますね。
下手になんかしちゃうとそこでなんかこじれて、長い時間かかっちゃって、上がるまでが時間かかるかなって気もしていたので。
今ここで「休む!」ってなっているんだったら、「じゃあいい、休んじゃいな」って。
そのおかげで解消されたってことですかね?
かもしれませんね。私は普通に仕事行ってたし。
そこまで私はある意味、信じて任せてたっていう部分があるかなぁ。
深入りしないでっていう感じかな。
本人の自主性に任せてたってことですね。でも、強いっちゃ強いですよね。休んでもいいよって言えるのは。
本当に子供の人生って考えたら、そうなったとしてもほんの1年、2年で終わるって気がする。
無理させると2年で終わるところが3年とか4年とかってなる気はしているかなぁ。
学習障害『ディスレクシア』を持つ子の親としての関わり方
親のディスレクシアの捉え方
「なんで勉強しないの!」って鬼だった昔の自分が目の前にいたとしたら、なんて声かけてあげたいですか?
今だったら、逆に私自身がコントロールできずにやらせちゃっていたっていうのがあったから、その気持ちを受け入れる。
「なんでそう言うことするの?」って言うんじゃなくて、私自身もそこで葛藤しながらもやってたわけで、まずそこを肯定するかな。
そう考えたのね〜って受け入れるってことですね。
「それそうやっちゃうよね」って。うん、そこを肯定します。
なるほど。ちょっと変わったと。余裕も出たってことで俯瞰して見れるようになったのかもしれないですね。
勉強以外で親として大変だったこと
勉強以外で、美穂さん自身が美沙さんを支えるのに大変だったなって感じることってありましたか?
彼女が「なんてバカなんだろう」って言った後で、学習面に対して、なんでできないんだろうっていうのは手放せたって感じ。もうそこらへんにこだわらなくなったかな。
だけど、やっぱり授業中とかに困っているだろうなって感じていました。先生のアタリだったりとか、そういうのがあったので、療育に行きましたね。
療育…。
うん、療育。要はハンデとかそう言うところをカバーしてくれるって言う施設が、車でうちから30分くらいのところにあって、そこにうまく入ることができたので、もう学習面に関してはそっちに全て任せることにしました。
私自身はそこまで追わなくていいやっていう切り替えができるようになったのかなと思います。
なるほど。理解されない世界から切り離していったんですね。
親として子どもの学習と向き合う
じゃあ、基本的に学習面っていうのが1番大変だった?
そうですね、週の漢字テストはなんとかなるようになったんですけど、学期でまとめてテストがあるじゃないですか。
うんうんうん。
それがやっぱりまたゼロからっていうところでの大変さはあったけど、でも私が大変ってわけではなくて彼女が大変。「それをやらなきゃ」って思ってるのは彼女なんです。
でも、彼女はコツコツやることはできたので、「合格しても合格しなくてもどっちでもいいよ」って声をかけました。
鬼から一変(笑)。
みんなとの学力差から、何を頑張ってきたのか?ってところに視点が変わったんですね。
とにかく、嫌なことでもやることだけはやっちゃいなって。そうやってコツコツとやることが大事だからって、徐々にそういうスタンスになったのかな。
ディスレクシアという学習障害と学校の対応
学校の対応で辛かった点
最初、普通の学校に通っていたんですよね?公立学校に通ったときにディスレクシアっていう障害に対して、学校ではこんな配慮が足りてないんじゃないの?っていうところはありますか?
そうですね。彼女はレベル的に、先生が「1+1=2だよ」って言って、周りの子たちも「あー、じゃあ、1+1=2だね」って理解できるところを、「1+0.5+0.5」、下手したら、「1+0.25+0.25+0.25+0.25」って本当にかみ砕かないと、理解できない子供でした。
1+1が納得できないんですね。アインシュタインみたいだ!
逆に言うと、普通の時間の中でここまで理解させてもらえるというか、先生方が理解させるっていうのがものすごい難しい子だなっていうのを今なら思うんですね。
だから、学習面に関して理解させてほしいではなく、そういう感覚を持っている子供っていう理解をしてほしいっていうところですかね。
正直、普通の学校に通ってた時の先生たちっていうのは、ディスレクシアを考えて、対応してくれる先生っていうのはいました?
難しいですね。
いないんだ。
そういう風に理解を示してくださった先生ももちろんいたし、「それはそれ。頑張るところはちょっとずつ頑張ろうね」っていう風にやってくださった先生もいたんですけど…。
美沙の状況以前に、私が試行錯誤しているのを、先生はプロでやっていることだからって、張り合う感じを持ちました。「私の学習のさせ方に手を出して来ないで!」みたいな。
張り合う感じ。先生たちのプライドってやつですね。それこそ本人とっては関係のない無駄な張り合いですね。
そう。でも、そこで張り合ってた先生もたくさんいました。
えー。やっぱり理解力不足からなのかなぁ。
やっぱりそれが美沙にとっては苦しかった。結局、私と張り合う感じだから、ミサにあたっちゃうこともあった。だから、美沙をこういう子って受け入れるんじゃなくて、美沙自身を見ていなかったんだろうなっていう気がする。
美沙っていう子供じゃない先を見て、張り合った先生がいる。
一律で教えることの弊害のようなものかなぁ。
他にも先生が説明してもわからないから、美沙は結局、授業に集中しないというか、ボーっとしちゃったりとか、他の子と喋っちゃったりとかっていう状況があったりする。
「あー、美沙ちゃんは算数分かっていないみたいだから、私、放っておいちゃっているのよね」っていう先生がいたんです。
先生からすると、一律だから置いていくしかないってことですよね。うーん。一人で見ることの限界がありますねぇ。
で、その先生はいったい私に何を言いたかったのかなっていう気はしました。
でも、そういう風に言われたときに、「あーそれだけ美沙って本当に難しいレベルの子供なんだろうな」って実感をしたんです…が
先生として、私にそれを言うのはどうかなっていうところがあって、ちょっとそこから火がついて、学校といろいろあってモンスターペアレントと言われるようになったりしました。
なるほど。でも、我が子を理解して欲しいって気持ちの表れですよね。モンスターって言われている人も、ただ理解して欲しいってだけなんだ。
それを受け取らない学校がモンスターペアレントってレッテルを貼るのはなんか違う気がする。
学校の対応で嬉しかったこと
じゃあ、さっきの逆で学校でこんなことしてもらって嬉しかったこととかそういうエピソードってありますか?
2年生の担任の先生なんですけど、まだ私自身はハンデがあるとかって全然見ていなくて、やっぱりやればできるだろうっていうのはあったんですけど、その2年生の時の先生は美沙の状況を見つつ、「乗り越えられるよね」って言ってくれてた。
へー、なるほど。個別最適化できてたんだ。
本来だったら、ハンデを持っているって思っていたら「先生それ無理です。」って私言っちゃっていたところを、あの先生自身はできないことはできないって分かりつつも、それは「一回やってみて」って感じで、背中を押してくれてました。
できないをできないで済ませない。どうしたらできるか?って考えたってことですよね。最終的に自立をしなきゃいけないのは彼女自身ですからね。すごいなぁ。
そこでやっぱり頑張ってできたってこともあったので、だから学習面どうこうだけでなくて、美沙を一人の子供として見てくれていたなっていう感じです。その思い出はありがたいって思っていて。今もその先生がこの絵本を結構授業で使ってくれたりするみたいです。
先生の交流があるんですね。どんな話しをするんですか?
美沙がこういうことやってるとか、今、美大に行っているので、こんな絵描いたよって報告したり、成長を見てもらって共有している感じかな
それは先生として嬉しいですね
だったら良いなって思います。
絵本『かなわね』は誰に読んで欲しいか?
絵本では理想のお母さんが出てきたんですかね。そういうお母さんになるにはどうしたら良いと思います?
子供に対して「なんで」って感じることって、結局自分自身に返ってくることなのかなって。子供の問題ではなく、私自身の問題。そこから私と向き合ったって感じかな。それが大きかったです。
ふむふむ。子供の問題ではなく、自分と向き合うことですか。
あの当時は美沙の問題って思ってたからこそ、今の私がこんな本を持ってきても理解できないというか…「だって美沙の問題じゃん!美沙がこうだから」って言われてしまうと思う。
今だったら「いやいや、それは私の問題だよね」って言えるけどさ。
問題は他人にあるのではなく、問題だと思ってしまう自分の心のほうにあるってことですね。
私がそう見ているから美沙がそう見えるんだよねっていうところの気付きだと思うし、ハンデがあるから、子供が不幸だからっていうより、みんながみんな親として持っているものっていう気がしています。
あー、たしかに親になるとそういう目線ってどうしても生まれちゃいますね。
自分自身がなにかそこにたどり着くまでにダメだって思ってることだったり、自分を肯定できないことが結局、子供がそういう状況になった時に子供に対して肯定できない。
自分自身を認めることができないから、子供も認められないっていう。
そう。=自分が肯定できていないからっていう気付きに繋がったっていう。
だから本当に今、そういうお母さんがいるとしたら、「自分と対話してみてごらん」って言うかなぁ。これまで自己対話でここまで来たって感じがしています。
親が幸せになれば子が幸せになる、それに気づかせてくれるっていう本なんですね。これは大人に読んでほしいですね。
そうそう、大人に読んでほしい(笑)。本当にダメな子ってできないわけじゃなくてっていうことを散々言っている気がするので。
ただ、絵本を最初に手にとったお母さんはもしかしたら落ち込んじゃうかなって懸念はあったんです。
え、どうしてですか?
「私こんなお母さんじゃない」「こんな魔法の言葉なんてかけられてないし」とかって言うけど、いや、そうなんだよ、自分にかけてないよねっていう。
そういうお母さんたちとそういうお話もしてみたいなって思ったりします。
なぜ絵本にしたのか?
これ、大人向けだとすると小説にしたりとか、一般的なマインド本みたいないろんな方法あったと思うんですが、なぜ敢えて絵本にしたんですか?そのまま子供さんの作品をってこともあるんでしょうけど、絵本ってどんな力があると思います?
絵で伝えるっていう、言葉もそうなんだけど、言葉以上に…美沙の絵っていうのは伝えるものがあるなっていうのは思っています。
最初、学力にこだわっている時はそういう絵に描いている時も「いやいや、そんなことより勉強頑張ろうよ」っていうことになってたと思うんです。
あー、ついつい言っちゃいがちですよね。学力だけ見て才能を見ずというか。
で、この絵本を読んで泣いちゃって。本当に私、分かってなかったなって。こういう世界を見てたんだって改めて分かって。
子供だからなんにも分かってないって思ってたけど、こんなに分かってたんだってことでの涙と、当時の葛藤していたこととかも思い出したというか…。
彼女の絵って親ばかになって「すごいすごい」と言っているわけじゃなくて、一人のファンとして心を動かされちゃう。それで本にしようって。
それは良いですね。ファンかぁ。
やっぱり伝えたいって思ったっていうのもあるので、やっぱり言葉以上のものが絵本に入っているからこそ、いろんなことを感じて、心を動かしてもらえたら嬉しいなって。
どういう感想持ってくれても良くて、それがあなたの答えだもんね。どう思っても良いよって思っている。
オール肯定ってことですね。それって言葉でいうほど簡単じゃないけど、大事ですよね。
「私、こんな親じゃないかも」ってそこでは思うかもしれないけど、そうやって成長していく中で、子供もいろいろ成長して、自分もいろいろ成長して、ここに帰った時に「あ、そういうことか」って気付きに繋がったら嬉しいかなぁ。
学習障害で悩んでいる親に向けてのメッセージ
最後の質問なんですが、もし、同じような家庭で同じような障害で悩んでいる方がいたとしらなんというメッセージを送りたいですか?
子供の可能性を見るんじゃなくて、大人の自身を見ている可能性を広げてほしい…かな。
例えばこういう状況だった時って子供がその状態だった時何を見ているかっていうと、「この子こうなっちゃったらどうしよう」「あーなっちゃったらどうしよう」っていう心配が先立っちゃう。
うん、多くの親はそう言ってると思います。
でも、この子はこの子の人生がある。どうしよう、こうしようっていうのは私自身がどこかで見てた誰か、どこかで見てたなにかを単に当てはめているだけだなと。
自分の経験や、体験をそこに当てはめているだけってことですね。未来はまだ訪れてないから分からないですもんね。
そうそう。っていうことはそういう状況をいろいろ見て、あるかもしれないけど、もしかしたらもっと良い状況になることもあるんじゃないの?っていう。
起きるかどうか分からない悪いことの可能性よりも、親が見ている可能性が大事。親が見ている幅をもっと広げてみたら良いんじゃないの?って思うかな。
自分の世界観を広げれば良いと。
別に我が子がそうならなくても良いわけ。ただ、自分が見ている世界がこうじゃなくて、こういう世界もあるじゃないかって。
見るだけでそこ(辛いと思う世界)が見えなくなる。
焦点化をズラすっていうことですかね
そう。あとは葛藤している自分でも本当にそれでオッケー。
だってそう見えちゃうし、そう思うんだもんねっていう。
まずはそこを認めてあげるっていうか。
葛藤している自分も「そう思うんだよね」って受け入れることが大事なんですね。
どうあったって、自分がそう思っていればそうなっちゃうワケであって。
そこはまず肯定してあげたいって思う。
「すっごくそれ分かる〜」って言ってあげたいと思うし、全然それは悪いことじゃないよって。私もそう考えたよって思うし。
子供をなんとかする前に自分がなんとかなりましょうっていうね。
そうそう。
で、なんとかできないのもよく分かるよって。親って子供を産んだからっていきなりすごい親になっているかってそうじゃなくて、子供からの積み重ねで来ちゃっていることだから、なにかそこで躓いていることがそこで問題として見えるっていうところだから。
だから本当はすごく良く分かるよっていうことは伝えたいというか。
いきなり最高の親にはなれないですからねー。
私はそんなにこの絵本に出てくるようなお母さんじゃないからねってことも伝えたいし。そんな風になれるわけないよって言いたいし。
悩んでいる姿こそが愛だよねっていう。
そうそう。まさになんとかしたいって思うのって子供を愛しているからこそであるし、どうでもいいって思ってたらそんな葛藤なんてみんなしないって思うから。
そこで葛藤するっていうのはちゃんと向き合おうと思って向き合っていること。それって本当にすごいことなのよね。
本当にそうだ。愛がなければ葛藤もしない。
だから当時の私に今の私が言えって言われたら「本当に葛藤してくれてありがとう」って。逃げないでちゃんと見てたねーってすごい褒めたいかな。
それはどんな困難にぶち当たっても大事ですよね。そういうことを教えてくれる本ですね。
本当に東京に明星大学の星山先生って発達系で先生たちに講座をしている先生がいらっしゃるんですが、その先生があちこちの講演会、講習で持っていって、これからいろいろ音読して、子供ってこういう感じで見えているんだよってことを説明できる資料として使ってくれています。
だから本当に良かったら見てみてください。
悩んでいる親にこそ読んで欲しい絵本。それが『かなわね』
ということで、インタビューでしたが、いかがでしたか?
学習障害『ディスレクシア』…、今はまだほとんど認知されていない障害ですが、今の学校に一番適応しにくい障害だと思います。
まだ世の中に出てくる10年くらい前からこんなにも悩み、苦しみ、そして成長して乗り越えてきた。
その全てが凝縮されて詰まった絵本、それが『かなわね』だと感じました。
「私もついつい子どもを縛ってしまう時がある」
そんな風に悩んでいる親はぜひ手にとっていただきたい作品です。