子供中心の授業って何だろう?

どうも、ソルティー(@solty_gn)です。

毎週、火曜日に未来の先生塾というオンラインサロンで学びを深めているのですが、今回話し合ったのは「子供中心の授業とは何だろう?」というもの。

自分自身、子供中心の授業って言われるとどうしても抽象的にならざるを得ないというか…。

はっきり言って、何をどんな風にやるのか?ってことがまったく見えていませんでした。むしろ考えもしなかった。

意外と先生としてもそんな人は多いんじゃないかなって思います。

今回はこの子供中心の授業ってものは圧倒的な知識量を持つことと、ただ子供たちにやらせれば良いってワケじゃないと気付いたのでその辺りをシェアしますね。

子供中心の授業に必要な教師の絶対的な知識量

まず、子供中心の授業に対して必要なのは教師の絶対的な知識量が必要になります。

一体どのくらいのレベルにまで達する必要があるのか?

1の知識に対して、100倍の知識量が必要

まず、子供たちの知識が1しかなかったとすると、先生の知識量としては100倍くらいないと授業は成り立たないと言っていました。

僕の子供も「パソコンを覚えたい!」なんて言っていますが、子供のレベルはパソコンを触ってインターネットを見れるくらい。

僕のレベルはインターネットを見るではなく、ネットの情報を作ったり、操作したりすることができ、遥かに超越しているレベルにいると思います。

逆に言うと、子供自身が「コイツ、何者なんだ…!?」、「まさに神!!」と思えるくらいのレベル感にいなきゃならないとも言えます。

その100倍以上のレベル感になれば、子供が今のステージから次のステージに行くまでに何につまづくのかを予測したり、思いもしなかった知識を与えたり、興味とワクワクを持たせるにはどうしたら良いのか?が何となく予想ついてきます。

100倍あればちょっと難しいけれど自分(子供)たちの経験を活かし、乗り越えられる次のステージへの壁をポンッと作れるようになるんだろうなと思うのです。

子供だけの発想で行う授業では学びが深まらない

多くの人が勘違いするのが、子供中心の授業と言われて、子供が考え、子供が実行していくというものを想定する方は多いと思います。

むしろ、僕もそういう想像をしていました。

ですが、今回の話題では子供だけの発想でやるものは学びの質が悪いという答えになっていました。

たしかに、何も用意せず「学びたいなら自由にやってごらん」という状態だけにしてしまうと何もしない子はいるし、何より大切な学習の目的を見失いがちになります。

理想的なのはレールを作ることではなく、場を作り、いつの間にか学習の目的を達成してしまうこと。

レールを作ってしまうと、どうしても教える側の想定した通りにしかいかない。

子供の経験を活かし、目的を叶える場を創り、黒子として見守る姿勢を崩さない。

そうした上でレールを作るのは子供たち…という状態にしないと学習の目的をそもそも見失ってしまう。

だから、教師にとって「場作りこそがとても重要なことなんだ」と話し合いを通じて感じています。

大人の都合≠子供の未来であることを自覚し、大人の都合を0にする必要はない

その上で最も自分の心の中に残ったのは『子供が主体的にレールを作っていける場作り』の他に、もう一つ。

大人の都合を0にする必要はないということ。

今回の話で出ていたのですが、『大人の都合≠子供の未来』であることを自覚するという話がありました。

どうしても場作りをする側として大人の都合で考えてしまう。

しかし、大人と子供だとどうしても子供がやりたいことや、やらせたいことだけやらせれば良いんじゃないか?と考えてしまうものですが、世の中に生きているのは子供だけではない

全部、子供のわがままで作られた世界ができたとしたら1年も世界は持たないんじゃないかな。

だから、大人も少しは自分が求めているものを主張していい。

間違うこともあるし、行き過ぎてしまうこともあるかもしれない。

でも、大人たちも世の中に生きている。大事なのは調和していくこと

できるかできないかは置いておいて、まずは「そんな考えを持っていたんだね」と持てるのはとても大事なことだし、子供たちにも伝えていかなければいけないんじゃないかなと。

子供と同じように大人も世の中に存在しているという点を忘れてはならないなと感じます。

教科書と向き合わない。一人ひとりの子供と向き合う

真面目な先生に多いらしいんですけど、自分が他の先生に比べて「できていない!」「授業の質が悪い」と感じれば感じるほど、分からないことを理解しようと教科書と向き合ってしまうことが多いようです。

それもある意味、間違いじゃないのかもしれません。でも、そこに正解は落ちてない。

大事なのは今、あなたが担当している子供たちにとって何が良いのか?はその子供たちしか答えを持っていないということ。

大事なのはその子供たちの声を拾って、活かして、自分がどんなことをやりたくての間をとっていくことだなと。

分かりやすく教えるために教科書と向き合う…。

それを繰り返せば繰り返すほど、今のあなたのクラスでの答えは見えなくなってしまう。

理想的な状態は『子供たちが寝ないで、自分で積極的に考えたり、発言したりして、楽しく、ワクワクしていること』。

誰にでも通用する答えがないからこそ、今のあなたのクラスでの最適解が必要なのではないか?

自分流の型を作って良いと思うけど、その都度、研究授業も必要なんだろうと思います。

先生自身が主体的になるという大切さ

先生という立場だと非常に難しいと思うのですが、先生自身が興味関心を持っているものがあるか?ということを大切にしてほしいなとも僕は思っています。

僕自身もそうなのですが、算数、数学はほぼ興味ありません。

そういう興味がないことは使えないし、覚えたいとも、使いたいとも思わないのです。

でも、他にはパソコンや、SEO、ICT、プログラミング、コミュニティ…など、いろんなことに興味を持っています。

その中には必ず算数、数学に絡んでいるものはあります。そういう自分が興味があることから派生させることはいくらでもできるし、それならちょっと難しいけど苦がありません。

先生自身が主体的になると子供たちにも主体的な意識は伝わっていくんじゃないかと僕自身は感じています。

もう一つ言うと、そういう得意なところから見ていくと狙いに対してどこまで到達したのか?が見える。それが子供たちへの評価に繋がっていくのではないか?とも話が出ていました。

教える専門家ではなく、教え方の専門家にならなければならない。

世の中ってのは次々と知らないことが出てきます。

全部知るのは不可能な分野があるとも聞きました。

 全部知るのは不可能な分野?

今回話が出たのは近代文学でしたが、昔は「岩波文庫、いくつ読んだ?」が口癖になるくらいそれで完結していたが、最近はラノベや、アニメ、サブカルチャーなども含まれ、全部知るには規模が膨大すぎるようになったとも。

そういう点では知らないけど、教壇に立つこともたくさん出てくる。

そんな時、重要なのは答えを教えるのではなく、教え方の専門家でなければならない。

先生としては『答えは分かっているけど、分からないフリをする』。そのまま教えてしまうのは下手くそな教師。

まずは答えを教えず、「なんでなんだろうね?」となるのがとても大事。

知らないことがワクワクに変わり、「なんでなんだ!?知りたい!調べたい!」と子供自身が知りたくなれば素晴らしい教師…、そんなことが皆さんの中から生まれた答えでした。

そういう点では僕もまだまだ工夫できる点はたくさんあるなーと感じています。

結局大事なのは目の前の子供たちがどう喜ぶかを常に考え続けること

いろいろ考えることはありますが、子供中心の授業とは、目の前の子供を信じ、見守ることなのかなと。

子供が自ら気付くと信じ、問いを投げ、自分が見つけたことや、発言したことの価値に気付けること。

その子供を信じて待つというスタイルをとれるのが、本当に優れた教師なのかなと思いました。

皆さんも子供中心の授業って何?という問い、ぜひ考えてみてください。

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