最近、若手教員が次々と学校現場から離職している現状を知っていますか?
安定と言われる職業ですが、教師のバトンや、新聞・テレビでのニュースなどから「教員ってブラックなんだ」という密かな不安が現場で働く教員の中に広がっていて、実は2022年現在では1万弱ほどの教職員が離職をし、緩やかな増加傾向にあるのです。
その理由は病気や、ケガ、家庭の事情の他に「教員の仕事が辛すぎて…」というものがあります。
そこで、本当に教員の仕事は辛いのか?ということを中学校の教員だったまいまいさん(当時:26歳)にインタビューをしました!
まいまい
元中学校教員、現市役所職員。
子どもの頃から夢だった教員になるも、2年目の時に挫折と、世界の教育の広さを実感して3年目の時に退職。
現在は働きながら、学校の外側から教育をサポートしたり、人々を導く活動などを行っている。
- 何が教員の仕事で辛かったの?
- 辞めるキッカケは何だったのか?
- 本当はどんなことがしたかったのか?
などなど、ここでしか話せない若手教員の悩みを明かしてくれました!
若手教員の悩みを知ることで今後の学校に求められることが分かるはずです!ぜひご覧ください!
- 今回のインタビュアー(はぎしん)
どうして教員になろうと思ったのか?
家庭環境について
まいまいさんって、子供時代どんな子だったんですか?
結構活発だったと自分で思います。
目立ちたがり屋な部分があって…、親も結構教育熱心な親だったので、勉強とか運動の面も一生懸命やりなさいってことで自分なりに一生懸命やって上を目指すような感じですね。
お父さんはどんなお仕事されていたんですか?
父親は一般企業で、母親は市役所職員ですね。
市役所の職員だったんですね。
そうです。はい。
じゃあ、共働きだったから、どこか預けられたりとかしていたの?
毎日学校から帰ったら、おばあちゃん家でご飯食べてって感じでした。
じゃ、家庭環境には恵まれていたって感じですかね?
そうですね。恵まれていたと思います。
先生になろうと思ったキッカケ
大きくなったら何になろうと思っていました?
わたし、小学校1年生のころから、学校の先生になりたいと思っていたんです。
そんな小さな頃からの夢だったんですね!
そうです、ずっとそれ1本でした。
なんで先生になろうと思ったんですか?
小学校1年生の時の担任の先生が、ちょっと厳しい女の先生だったんです。でも、すごい楽しそうに働いている姿を見て、「学校の先生って楽しいのかな」って思ったのがきっかけでした。
やっぱりその先生が楽しんで働いている姿を見て、先生になりたいと思ったんだ!
はい、そうですね。
やっぱり子供の頃の話を聞くのってすごく大事ですよね。自分の根っこの部分がわかるから。
学力について
学生時代の思い出とかってありますか?
思い出は部活一筋でしたね。
なんの部活やられていたんですか?
部活は卓球部でした。姉も卓球部だったんですけど、自分の地元の中学校が卓球部が強いってことで入りました。最初はテニス部に入ろうかなと思ったんですけど、「どうせ入るなら、卓球部入れば?」って親とか姉に言われて入りました。
成績はどうだったんですか?
団体ではあと一歩で関東大会まで行けそうなところだったんですけど、もうちょっとというところで決定戦で負けちゃってっていう悔しい思い出がありますね。
勉強はできたほうなんですか?
そうですね、自分で言うのもなんですけど、中学校の時は周りの子よりはできていたかなって言う感じです。
じゃあ、リーダータイプだったのかな。
学級委員とかも率先してやるようなタイプでしたね。
ずっと順調で挫折とかなかった?
挫折は…ありましたね。
中学校まではそれなりにできるなって言う自信もあったんですけど、高校に入ってからは勉強がわからなくなってきちゃっている部分もあって、「あれ、自分こんなんだったっけかな?」ってちょっと挫折もあり、あと1番の大きな挫折は大学受験に失敗しちゃったのが大きいですね。
それは、第1志望に行けなかったってこと?
そうですね。教育系の国公立に行きたかったんですけど、ことごとくダメで、結局、私立に行ったんです。
じゃあ、現役で入ったんだ。
一応、浪人は絶対にしたくなかった、浪人してまで勉強は絶対したくなかったので、ははは。
大学はうちから通ったの?
大学は4年間寮生活で、教員を養成するための大学。専門学校みたいな大学だったので、もうみんな寮生活で4年間過ごしました。
大学は楽しくやれたんですか?部活とか?サークルなんかやったのかな?
サークルは、私、理科教員になりたかったんで、環境科学サークルっていう、生物系とか物理とかいろんな科学系の実験教室などのイベントをやりたい人が集まるサークルに入りました。
地元のお祭りや企業の催し物に参加して、実験教室をやったりとか、自分たちで定期的に実験教室を開催して子供たちと触れ合う感じのサークルに4年間所属していました。
じゃあ、結構充実していた感じ?
そうですね、他の大学とは違って勉強漬け。夜も夜間学修といってみんなで集まって勉強する時間が決まっていて、必ずそこに出席して、教員採用試験の勉強をするっていう習慣がありましたね…。
多分、他の大学の学生たちはバイトに忙しかったりとかって感じだと思うんですけど、なんか、私たちの大学は、教員になるための勉強と、自分のバイトとかサークルとか、ちょこっとやる感じの生活でした。
そうなんだ、高校みたいですね
そうですね、なんか高校の延長線上みたいな、そんな大学でした。
でも、その大学行って良かった?
良かったですね。周りに刺激されて、自分も勉強しなきゃっていう意識があったので。
教員採用試験は一発で受かった?
そうですね、一発合格でした。
若手教員が感じる学校の悩みについて
着任の悩み
どこに赴任したんですか?小学校?中学校?
中学校です。
中学校の先生になりたかったんだ。
教育実習で小学校も中学校も行って、迷ったんですよ〜。小学生も可愛いなと思っちゃって。
でも、自分が若い時に部活を経験しておきたいなと思って「じゃあ、中学校行くか」と。免許どっちも持っていると異動できるので、じゃあ、最初は中学校行こうかなと思って、中学校受けてみました。
中学校の先生を最初、小学校に行かせたりとか、なんか逆張りでやっていたんだけど、それは自分の若い頃かな。今はそうじゃないんだね。わざと、自分の地元から遠いところ行かされたりとか。
それはたまにありますよね。
そういうところがあるんだけど。それで最初から地元でね。しかも最初から行きたい中学校だったから、やる気まんまんで。
やる気まんまんで、はは。
自分が思い描いてる理想の学校との悩み
で、教員生活はどうでしたか?
やってみて、色々とギャップがありましたね。理想と現実の違いがあるのは承知の上だったんですけど、自分の中でギャップがありすぎて辛かったです。
最初に思い描いていた理想の学校はどんな感じの学校だったんですか?
私は教員になったら、一人一人をちゃんとみて、その子にあった指導をしたいなっていうのは、教員採用試験の勉強をしていた時からずっとそう思っていたんです。でも、教員になってみると、そんな暇はないっていうか…。一人一人を見ている暇がまずないっていうのがまず1つのギャップでしたね。
一人一人の生徒を先生って見ているように感じるんだけど、そうではない?
自分が若いっていうのもあったんですけど、1クラス40人弱いる中で、ベテランの先生からは「1日必ず全員と会話しなさい」って言われていたんです。でも、それができない自分がいました。時間的なものが足りない。
あと、その子の特性が色々あるので、なかなか心開かない子とか、そういう子に対してどうしゃべっていいのか、心開いてくれるのかなって考えてました。
自分も何もわからないまま教員になったので、それで自問自答する日々でした。
理想の時間の悩み
時間がないっていうのは具体的に、どんなことに時間を取られちゃうんですか?
中学校なので自分の教科+道徳とか特別活動とかの授業研究と、あとはやっぱり部活動が思っていたより負担が大きくて、それで時間がないないっていう状態です。自分の精神的にどんどん追い詰められていきました。
大体、1日の日課ってどんな感じなんですか?
部活、朝練もあったので、朝練7時。
6時過ぎには起きて学校行って、7時から8時前まで朝練やって、朝の会からの1日が始まって4時前に帰りの会があって…。
そこから子供たちは部活なので、先生もすぐに部活動行って、大体4時から夏とかだと7時前までやって…。
夜の7時くらいに職員室戻ってきて、で、次の日の授業準備とか、体育祭とかそういった行事があれば、担当する先生たち同士が集まって会議するとか…。
大体私は早い方だとは思うんですけど、夜の8時とか9時あたりまで毎日残っていました。
ひえー、大変ですね。部活ってなんの部活なんですか?
部活は卓球部を持たせてもらいました。
じゃあ、得意なスポーツですね。
そうです。それが結構救いでしたね。
理想の授業の悩み
授業って1日あたり何時間ぐらいですか?
6時間あるうちの、フルで入ることあんまりないんですけど、多くて5コマ4コマ担当です。なので空き時間は1日につき1コマ2コマですね。
その空き時間にはどんなことやるんですか?
本当は教材研究をやりたいんです。でも、不登校生徒の連絡とか、実際に家に行って連れてきたりとか、なかなか自分のやりたい仕事が進まないですね。
教材研究とか雑用って言うけど、どんな雑用があるんですか?
雑用っていうか、次の授業で使うプリントをコピーするとか、あと家庭学習など、子供たちが宿題でやってくるものを添削したりとか、そういうので一時間はあっという間にすぎてしまいます。
5コマ持っていたらね、200人近い子供たち見てるっていうことですもんね。
そうですね。大体1学年そのくらい。
何クラス受け持つんですか?
クラスとしては4クラスなので、1日に4クラスやるとして、それで終わるか、プラス自分のクラスの道徳やるとか。
あー、なるほど、それで五時間になっちゃうのか。
はい、そんなかんじですね。
人との関わり合いの悩み
部活がガンなのかな?
私の場合、部活がやりたかったのに部活が負担になっていたので、結構それ大きいと思います。
ね、体力的にもきついし。
はい。
小学校の先生だとそんなことないのかな。
って聞きますね。小学校だと、国語とか算数とか、自分の専門でないものをやらなきゃいけないんですけど、部活がないので、土日は結構融通が効くっていってました。
小学校の方が一人一人の児童、お子さんには、目が届くように教えているかもね。
そうですね。
小学校の先生だったら、まだ続けていた感じ?あまりうまくいかなかったかも?
どうだろう、辞める前に教頭先生から「小学校もアリじゃない?」って言ってくれたんですけど、校種を変えたところで根本的な問題…雑務って言ったら身も蓋もないですが、保護者対応とかそういった先生の負担が大きいものがなくなるわけではないので、なんかそこを変えたいと思ったんです。
根本原因って表面の原因じゃないんだよね。もっと深いところで起こっているんでしょうね。何が先生にそんな負担をかけているんだろう。
先生って子供好きな先生が大半だと思うので、手を抜けば抜けられるんですけど、やっぱり、「子供のために」って思っちゃうと、どんどんやり始まると終わらないんです。どこまででもできちゃうので、そこが子供のために全部やりすぎちゃう先生っていうのもありますね。
あとはなんか、私、若いからあんまりよく言えないんですけど、保護者も学校をすごく頼っていて、悪く言えば、任せっきりにしてしまっている部分もあるかなと感じました。先生だけが頑張っているみたいな感じに思えてて、「いや、そこ保護者の方も頑張ってくださいよ」って気持ちも正直ありました。
同僚の悩み
例えば大変なお子さんとか、大変な保護者の対応とかありました?
私のクラス、不登校の子がいっぱいいるクラスだったんですけど不登校の子を集められた時期がありまして…。
40人弱で何人くらい?
何人だろう…、3、4人くらいですかね。
じゃあ結構いる感じですね。
グレーゾーンの子もチラホラいたりっていう。結構、私あまりガミガミ言わない先生だったので、こうガツンと言われて心が折れちゃうような子は私のクラスに集められてたことがあります。
私は言わないから、なんかその子が安心して来れるんじゃないかっていうので、グレーゾーンの子が集められた時がありましたね。
ある意味、まいまいさんの適正見てるんですね。誰をどこのクラスにやるっていう配分は誰がやるんだろう?
学年で、学年主任の先生を筆頭に自分たちで決めます。
それは話し合って決めるの?
話し合って決めますね。リーダー格の子を散らばせて、その後に問題児と言ったらアレですけど、均等に散らばせてって感じでうちの学校は決めますね。
でも、均等じゃなかったんでしょ?
そうですね、蓋を開けてみたら、「アレ?なんか私のクラスに寄ってない?」って感じでした。
若いから、生徒と近いって感じで上手くやってくれるだろうっていうね。
そうかもしれませんね。
若いし、元気だし、そういう期待はあったかもしれないですね。でも、まいまいさんは頑張り屋さんだから、一生懸命なんとかしようと思ったんでしょうね。
そうですね、自分、教員としてはまだ力がない状態で、心があまり強くない子の対応が自分でもわからなくなっちゃって、私も周りの先生に頼れば良かったって思っています。
でも、周りの先生もクラスのことで精一杯だから、同じ学年の先生の間でコミュニケーションが上手くとれなくなっちゃって、そこで自分が苦しくなっちゃって、鬱の一歩手前みたいな感じに自分もなっちゃった時期がありました。
やっぱそういうのって、生徒に、ある程度影響したりもあるだろうしね。今は元気なまいまいさん、笑顔のまいまいさんなんだけど…。ちょっとふさぎ込んでいた時期もあったのか。
はい、そうですね。
若手教員が悩み、教員を辞める決断に至るまで
一番辛かったこと
そういう時にね、力になってくれるような仲間がいたらよかったんだけどね、心が折れちゃったタイミングみたいのがあったんですか?
自分の受け持っていたクラスのある女の子が、「同じクラスの男の子にからかわれている」と問題になって、私は解決しようと自分なりに頑張ったんですけど、なかなか上手く好転しなくて、結局、その女の子が不登校気味になっちゃったんですよ。
「自分のせいでこの子を不登校にさせてしまった」みたいに、負の感情にずるずるひきずりこまれて、そこで完全に折れちゃいましたね。
それが3年目の時?
2年目ですね。結局2ヶ月くらい自分も休んでしまって、本当に受け持っていた子供たちに申し訳ないことしたなって感じです。
先生を辞めようと思った理由
新しい人生を歩むって思い返したのっていつぐらいなんですか?
ちょうどその時ですね。
そうなんだ。公務員になるのだって、もう一回勉強しなおしになっちゃうからね。やめようって思ったのはいつなんですか?
2年生を担任していた途中でその一人の女の子を上手く学校に行かせてあげられなかったっていう思いがあって。
まあ、ちょっと自分の教師経験が浅いからっていうのもあるかもしれないんですけどね。
子供たちに上手く言葉をかけられない自分もいて、「自分って先生向いていないのかな」って思うことも増えたんです。
うん。
あとは、先生っていう多忙な職業をこの先何十年も続けられるのか?って自問自答した時に、周りのお母さん先生がいるじゃないですか?
周りの家庭を持たれている先生が、早い時間に全然帰れていない、自分の子供たちの行事を一つも出られない先生もいて、自分の子供より、学校の生徒たちを優先している先生もいる…。果たして将来、10年後とか自分に子供ができた時に、同じことができるのかって考えた時に、ちょっと自分には無理っていうかイメージが浮かんじゃったんですね。
衝撃的だったのは、同じ学年の学年主任の先生に、「あなたにはプライベートはないのよ」って言われて「24時間先生してなきゃいけないのかな」って思っちゃったんですよ。
先生だって一人の人間だし、プライベートもあって息抜きもあるから、子供たちとも月曜日から元気に関われるんじゃないかなって思ったんですけど、そこはやっぱり、考え方の違いもありましたね。
自分の子供を優先させてあげたいっていう気持ちがあったので…休んでいた時にそういう気持ちになって転職しようかなって思いました。
多分、ご自分がそういう気持ちでお仕事されているっていうことを伝えたかったんでしょうけどね。だってデートだってしたいしね。
教員を辞めて良かったか?
夢だった教員だったわけですが…やめてよかったですか?
やめてよかったですね。でも、子供の頃からの夢だったので、先生っていう職業は好きだったんですよ。本当はやめたくなかったんです。
子どもと関わりたかった。ただ、それだけではやっていけない、気持ちとかやりがいだけではやっていけないって気持ちも強かったです。
今の職業に転職して結果的には、今の段階ではよかったかなって思っています。
じゃあ、余裕が生まれたんですね。
そうですね、余裕はありますね。
公務員は四六時中子供たちに囲まれているわけじゃないから、自分のペースも作りやすいのかな。
そうかもしれないです。
直接教育とは関わっていないんですけど、まずは1年目なので、仕事に慣れること。やっぱり市役所でも、もうちょっとここ改善したらみんなの業務減るのにって思うところがいくつかあるので、そこから自分ができる範囲で、着手できたらなとは思っています。
若手教員が教員を辞めて教員支援を行う理由
教員支援を始めたキッカケ
え、じゃあ、何でT-KNITの正会員に入ったんですか?
T-KNIT(ティーチャーズアソシア)に入ったのは、やっぱり姉が先にアソシア入っていたっていうのもあるんですけど、市役所に入って、そこで自分の仕事をしているだけでは、全然教育と関わっていないってのが大きかったかな。
やっぱり自分は先生になりたかったけど、色々あってこう苦しんでいる先生たちを救いたいっていう自分のできる範囲で手助けしたいっていう思いがあります。
いいですね。
あとは3年間教員人生で悩んでいたし、業務負担が多いなっていうのをどうやったら減らせるかなっていうのを自分で考えたくて、それだったらじゃあ、アソシア入ってみたらなんかきっかけ掴めるかなって思って入りました。
なるほどね、ソルティーのビジョンに共感したと。
そうですね。はい。
どのように教育に関わっていきたいか?
でも実際にどういう風にしてその問題を解決していったらいいだろう?
やっぱりそこが、自分の中でも明確ではないなと感じています。アソシアに入ったはいいけど、他の皆さんは支援ツールを開発したりとか、未来の先生展に出展したりとか、私はまだこう一歩を踏み出せていないので、そこがまだ明確ではないかなって感じです。
みんな自分の持っているスキルとか、やりたいこととかを生かしている感じはあるんですけどね。まいまいさんの強みって何だろう?
強み、得意なこと、得意なことはやろうと思ったら、そこに一直線に進むタイプってことかな…。ちょっとエンジンかかるまでは時間がかかっちゃうタイプなんですけど、波に乗ったら、多分周りも巻き込んで、できるんじゃないかなって思います。あとはきっかけ作りかなって思っています。
また何かにぶつかっちゃったら?
そうなんですよね〜。
ま、いっかぐらいではやる、はは。
ああ〜、どうなんでしょう。
なかなか人を変えることって難しいからね、思っているよりもね、やっぱり自分が変わることが一番。そういう意味ではまいまいさんも、自分を変えようと思って新しい人生を歩み始めたんですよね。
今の教員に伝えたいこと
まいまいさんがこれまで、人生の中でいろんな葛藤があったり、見つけられたりとかそういうことが色々あったんだけど、特に先生たちに伝えたいってこととか何かありますか?
伝えたいことは、自分の視野を広げるっていうことがすごく大切だなって思いました。私が2年生を受け持っていた時に、職場体験学習っていうのがあって、私自身は仕事的には教員しか知らなかった。
でも、子供たちは教員以外の仕事も知りたいじゃないですか。
そういった時に、自分は一つの経験しか持っていないんだなっていうのもすごく痛感したし、そういうのもあって、自分がちょっと休んでいた後に、Facebook上で募っていたフィンランドツアーに行くっていう教育視察に参加して1週間ぐらいフィンランドに行ったんです。そういう風に自分の興味の持ったことを自分の目で確かめるっていうのが、すごく大切だなって思いました。
理想の教育の形
これからアソシアでどんなことやっていきたいと思っていますか?
私の強みかどうかは分からないんですけど、さっき言った他の国の教育を見ているっていうの経験もあるので、それを他の先生たちに伝えていけたらいいなって思います。なんか視野が自分も狭かったというのもあり、こう言った考えもあるんだよっていうのをもっと知ってもらって、その子にあった接し方とか指導方法を先生方に考えてもらう機会にしてもらえたらいいなとは思っています。
良いですね。なかなかない経験ですよ。
自分の26年間の経験で先生になりたくてなったんだけど、色々な思いをして他の職についたっていうのも1つの経験だと思います。
自分のしてきた経験をどう次に生かすかっていうのをちょっと考えながら実行に移すっていうのも一つの大きな課題なので、そこまでちゃんと踏み込めるように頑張りたいと思います。
今日の話を振り返ってみると、自分の理想の学校みたいなものが、子供たち一人一人をしっかり目を配って輝かせる。
そうですね、本当にそうなりたかった。
私がフィンランドに行ってすごく思ったのは、フィンランドは自分の人生に責任を持つっていうキーワードを持っているって現地の人がおっしゃっていて、なるほどって思ったんですよ。
私もそうだったんですけど、日本では、何となく親任せに、親に任せておけば、まあ、正解だろうっていう考えがあると思います。
フィンランドは幼少期から職業教育っていうものをやっていて、将来自分が何したいのか、で、そのために自分がどういう道を歩めばいいのかっていうのを親任せではなくて、自分で考えて、学校を選んだり、自分ができなかった部分を何回も学んでもいい機会があるんです。
そういったところって、「なんかちょっと日本とは考え方が違うな」って思いましたね。
たしかに日本とは大きく違うね。
私が最初に言った、一人一人を大事にしたいっていうのも、フィンランドではすごくできていました。
例えば、子供で多動症の子(座ってられなくて歩き回っちゃったり)とか、日本だと「だめでしょ、座りなさい」みたいな感じで言っちゃうんですけど、フィンランドは、怒るんじゃなくて、その子が歩き回るのがいいんだったら、そのまま、放っておく…じゃないですけど、あまり注意しない学習スタイル。
体を動かしながら学習するタイプなんだなとか。寝そべっちゃう子とかもフィンランドにいるんですけど、そういうのも全然OK。
もう寝ながら、ベッドの上にいるような感覚で勉強しているような子もいるんです。
それは本当にすごいことだね。
本当になんか多様性に溢れている教育をしていて…、日本だとみんなキチっと平等でしょみたいな感じなんですよね。
背の高い子も低い子も同じ台で、それが平等だよっていうように、日本だと多分そんな感じだと思うんですけど、フィンランドだったら、背の小さい子をちょっと高い台にしてあげて、トータルで目の高さを同じにしてあげるっていうのが平等なんだよっていうのが、現地の方がおっしゃっていて、それなりに個にあった、目が行き届いてるんだなって痛感しました。
何ヶ月フィンランドに行っていたの?
全然!1週間だけなんですよね。
1週間だけで、そんなにわかったんだ!?
わかります!
一応、フィンランドでいう幼稚園から、大学までの教育機関を全部見せてもらうツアーだったので、それで先生たちの話もたくさん聞かせてもらいました。
それは3年目の先生の時に活かせなかった?
視点は大きく変わりました。他の先生たちに広めるところまではできなかったんですけど、自分の心に余裕ができて、「この子は今、こういう考えなんだな」っていう風に、今までは押さえつけじゃないけど、周りのベテランの先生ができていて、私もそうしなくてはと思い、「それはだめでしょ」って子どもを押さえつけていた自分がいたんです。
3年目はそういうことはなく、「今、この子はこういう風にしたいから、じゃあ、見守ってあげようかな」とか。そんな感じで自分に心に余裕を持てるようになりました。
でもやっぱり、新しい仕事のほうがよかった?
フィンランドに行って帰ってきた後に、このまま日本の教育現場にいて変えようって選択肢もあると思うんだけど、やっぱり先生だけのコミュニティにいたら、またここで自分はがんじがらめになって、また視野が狭まっちゃうんじゃないかって思ったんです。先生だけではどうにもできないことを、じゃあ、外から何かできないかなって思って。
あー、なるほど。それだね、まいまいさんのこれからやっていくことは。
はい。
若手教員の一番の悩みは他の先生と自分を合わせるしかないと思ってしまったこと
まいまいさんが本当にやりたかったのは一人一人の輝くってところだったんだね。もう少し行ったら、もしかしたら今の時代の寺子屋がまいまいさんの理想の学校かもね。ただ、社会の現実っていうのは違うよね。もう決まったことを決まった通りにやる組織行動者を育てるのが目的だから。
そうですよね〜。
しかも、個性よりも同じことができること。
そう。
ずっと言われていることなんだけどね、どうやってもダメだったしね。
特別支援の子とかも持っていたんですけど、本当にその子も苦しそうで同じにしなきゃいけないいけない、しなさいみたいに言われているけど、その子はしないんじゃなくてできないのもあるのに、「なんか可哀想だな」って思ったりします。
でも自分には1教員なのでどうしようもできない自分もいて。
まいまいさんもここで、自覚したほうがいいのは、自分も罠にハマっちゃったよね。他の先生と同じように自分もできなかったんだよ。そこが辛かったところがやっぱりありましたよね。自分も変わった先生でいいんだって、そういうふうに開き直ったら、学校で頑張っていたかもしれないですね。
そうですね。そこができなかったですね。
その社会の現状と、根本原因は自分の人生とも繋がってるんですね。新しく転換する、それが、やっぱりフィンランド行ったことだったんですね。
そうですね。
で、新しい人生歩もうと思って、アソシアでも頑張ってそこでできることが、寺子屋かもしれないね。
でも、ちょっといいなって思いました。ワクワクしている自分もいる。
それが大事。よかった、一回フィンランドの話まで戻れて。
ははは。うまく引き出していただいて、ありがとうございました。
若手教員が感じることは今の教育の課題をそのまま反映している
インタビューはいかがでしたか?
僕はこのインタビューを聞いて、若手教員の感じることは今の教育課題をそのまま反映していると思いました。
まったく変わらない、変わろうとしない雰囲気だったり、多様性、地域・保護者との繋がりなどなど、本当に大切なことを心で感じてしまって、病んでしまったり、辞めていく原因になったりするんだなと…。
このインタビューを見て、どう感じるか、あなた自身がどう明日からの一歩を変えるか。
それが未来へ繋がると信じています。