今日はボランティアの主体性についてちょっと話しを深めてみたいと思います。

教員の負担が大きくなっている昨今、ボランティアの必要性を感じている人もたくさんいるのではないでしょうか?

ですが、実際に学校にボランティア行っても門前払いされることが多いのです。

それが原因で「学校ボランティアはもうしない」という人まで生まれています。

では、一体どうしてこのような人が生まれてしまうのか?を現場に入っている目線でお伝えしていきます。

振るタスクをカテゴリ分けできていない

まず、先生たちが何の仕事があるのか?ということを認識しながら動いていることは稀じゃないかなって思っています。

子どもたちがたくさんいて、慌ただしく日常が始まり、慌ただしく一日が終わる…そんな毎日だろうと思います。

そんな中で、これはボランティアに振る、これがボランティアに振れないと考えながら仕事をする人はほとんどいないだろうなぁっていうのが現実です。

それを考えるのは管理職の先生たちが行ったほうが良い作業かなって思いますが、肝心の管理職の先生たちも、そういうマネジメント的な業務ではなく、事務・総務作業が主になっているように思います。

突然、ボランティアをしたいです!って来ても、それは慌てるよなって感じます。

振るのは良いけど、教えるのに大きな手間がかかり、「そんな時間がない」のが現実

ボランティアと言って、簡単な作業というか、誰もが認識している作業になりがちなのは理由があります。

誰もが認識している作業というのは、授業補助(特にミシン)、読み聞かせ活動、子どもの見守り活動、挨拶活動、花壇の植え替え…にほとんど限定されています。

これは学校の先生に聞かなくても、ボランティアでほぼ完結できるから…だと思っています。

逆に先生に聞かないと完結できないボランティアは先生にとって大きな負担です。

例えば、集めたゴミをどこに捨てるのか?というのを聞くだけでも負担だと思われたりするのです。

丁寧に教えてくれる学校は教職員の数がちゃんと揃っている場合がほとんどではないかなと感じています。

少なくとも、今見ている学校では教職員の数が足りていません。ほとんどの学校で起こっている現実だとすれば、「教えてください」と言われることがそもそも精神的負担になってしまったりするのです。

地域の人と連絡取れる時間が合わない

先生たちの中で大きく負担になるのが、ボランティアとの連絡です。

特に日程調整に関わる部分には気を遣っていると思います。

昨今では、働き方改革などの話しもあり、17時15分以降は電話の送受信ができなくなります。

地域からかけ直しなどもできなくなってしまうのです。

そうした場合、先生たちは電話で連絡するというより、直接家に訪問するケースも出てきています。

お手伝いしてくれる人とのやり取りのほうが負担に感じるため、お手伝いを増やすんだったら、自分でやってしまったほうが早いと思ってしまう先生がたくさんいるのも考えさせられる内容です。

何かあった時、「分からない」と言いたくない職業

ボランティアを呼ぶのは良いのですが、なにかあった時、誰が責任とるのかを気にする先生はたくさんいます。

その責任問題のせいで、ボランティアには危険な作業や、重労働など負荷の高い活動をさせたがらない傾向も生まれています。

本当はやってほしい仕事を、気軽にボランティアにお願いできないということがあるのです。

だから、「何をやってほしいですか?」と聞いても、答えてくれなかったり、「何をお願いしたら良いか分からない」と言われてしまったり、リストを作ってくれても、簡単そうなリストばっかりで実際にボランティア入っても負荷が大して減っていないなんてこともたくさんあります。

そのような責任の所在がすべて学校に行ってしまうということを理解してボランティアに入らなければいけないんだなと思うと、気軽にボランティアを呼ぶことにも気が引けてしまう。

いろんなジレンマに悩まされているのが先生たちなんだなと思うのです。

そんな中で、コーディネーターなる人たちが注目されはじめています。

地域学校協働活動推進員や、地域学校協働教員の存在です。

自分で活動を見つけたり、一緒に考えたりする人。

この存在がいることで、お互いを繋ぐ架け橋になるのではないか。

そう期待しています。