近年、日本でも様々な教育が取り入れられつつあります。

オランダのイエナプランを取り入れた学校が話題になったり、フィンランドの教育などが語られたりすることも多いかと思います。

(尾木ママも語ってますね~教育先進国 オランダ 驚きの教育法 イエナプラン

様々な教育方法が広がり、教育の選択肢が広がることは喜ばしく思っています。

私は、自身の子どもが国際バカロレア(IB)の学校に通っていたため、IB教育の素晴らしさを体感してきました。(これについては別で紹介させていただきます。)

そして、IB教育のような教育を日本の教育現場でも取り入れられないかと考え、教員になりました。

しかし、私が広まって欲しいと考えているのは、【IB教育】でも【イエナプラン教育】でもありません。

IB”のような”教育、フィンランド”のような”教育です。

つまり、教育方法ではなく、その根底に流れている子ども観や教育観こそ広まってほしいと考えているのです。

私がこれらの教育の根底にあると感じているのは次の二つです。

「子どもたちのチカラ、可能性を本当の意味で信じている」

「一人ひとりをよーーーくみて、その子に合った環境を整える」

「そんなのきれいごとだ。」と感じる方も少なくないかもしれません。

言葉の表面だけを受け取ってしまうと、そう感じてしまうかもしれません。

しかし、この意味を本当に体感している人、心の底から感じている人は子どもの見え方が違います。

子どものチカラ・可能性を本当の意味で信じている

たとえば、「子どもの個性を見つけて、そこを伸ばす」というようなことも言われるかと思います。

私はこれにちょっと違和感を覚えます。

私の感覚では、子どもの個性を見つけようと思うことはありません。

子どもの個性はその子のそのままの姿から、自然とみえてくるものだからです。

そして心が動いていることがあったら、そっと環境を整えることで、あとは子どもが自分の力でどんどん伸びていきます。

それはもうびっくりするほど。

大人の想像を軽〜く超えていきます。

だから私が「個性を見つけてあげよう。」、「伸ばしてあげよう。」なんてことは、おこがましいとさえ思ってしまいます。

私がどうにかしようとすることのほうが、その子の可能性を狭めてしまうと思うので、余計なことはしないようにしています。

大人の枠をはずして、子どもたちを一人の『人』としてみることで、もっともっと子どもたちの真のすごさ、可能性に出会えると思っています。

一人ひとりをよーーくみて、その子に合った環境を整える

「子どもをよくみる」ってよく言われますが、どういうことなのでしょう??

子どもたちの理解度を確認?

評価のために子どもたちをみる?

もちろんそれも教師の一つの役割かと思います。

私が自問自答して出てきた答えは、子どもたちの言動の奥にあるものをみつめることです。

子どもの言動には必ず意味があるので、そのメッセージを受け取り、必要な環境・サポートを整えることが大切です。

一人ひとり夢中になるものも、タイミングも違います。

一人ひとりが自ら発してくれる瞬間を、逃さないようにしたいと思っています。

大事なのは、〇〇教育や学校という場所ではなく、『人』です。このような視点で子どもたちをみて、信じる大人が一人でも増えることを願っています。

そして子どもたちを取り巻く大人がこのように子どもたちをみていくことで、もっともっと子どもたちは自分に正直に、伸び伸びと生きていけます。

そして、そんな子どもたちの姿を見たとき、私たち大人はどう感じるでしょうか?

大人の私たちも、本当は誰しもがもって生まれたものがあります。

私は、生き生きと自分らしく生きている子どもたちをみて、忘れてしまっていた、またいつのまにか蓋をしてきてしまった『自分』を取り戻すきっかけをもらいました。

本当の自分らしさを思い出し、そこを大事にしながら生きていく。

大人も子どもも自分らしくいられる、そんな世の中になることを願っています。