「学童に子供を預けたいのに、働く人がいない」
少子化なのに学童保育の需要は増え続け、現場は深刻な人手不足に陥っています。勤務時間の短さによる年収の低さから若い人材が定着せず、結果として学校の中に大勢の子供を詰め込む「管理型」の学童が増加。放課後まで「あれダメ、これダメ」と指示され続ける子供たちは、果たして自分で考え、自分で決める力を育てられているのでしょうか。
今回は学童保育「凛童舎」を運営する、吉岡さんにインタビューしました。学童保育や学校現場の人材不足の実態、学童スタッフが学校で働く『ダブルワーク』という新しい仕組み、そしてデンマークの「ペダゴー」という職業に着想を得た子供との関わり方まで、教育現場の最前線で見えてきた課題と可能性について、じっくりお話を伺いました。
なお今回のインタビューにあたっては、T-KNITの会員で高校生のサイココさんにインタビュアーをやっていただきました。
今、学童保育の現場で起きていること

学童保育を運営されていますが、その学童保育の現場で今どういうことが起きているのかをお聞きしてもいいですか?

子供は減っているのに、働きに出る女性が増え続けるということで、学童保育に通わせたい親が増えていて国は待機児童を出さないことに躍起になっています。
とはいえ、その学童保育に子供がいる時間って、午後2時半から7時くらいと、長くて1日5、6時間くらいなんです。そうすると、1日4〜6時間の仕事で食える仕事というのは難しくって、学童保育に勤めるスタッフが足りない、なり手がいないという状況が起きてます。だから、世話する人がいなくて見守るべき子供の方が増えているという状況が起きていて、しかも給料が上がらないからなり手が少ないことが大きな問題になっています。
そして、大勢をいっぺんに集めた方が管理も場所の確保も楽だからと、学校の中に学童クラブを作ることを国が推奨していて、たとえば全校生徒500人の学校で150人~200人ぐらいが学童クラブに所属するんですよ。学校の中に放課後までそれだけの子が残ると、すごく管理的になって、たとえば「あれやっちゃだめ、これやっちゃだめ」「外遊びは3時半から4時までね」とか、放課後まで指示・命令をされるような育ち方をしている。
もっと自分が子供時代に過ごしていたような放課後に近づける方法はないかと思ってやってるのが、うちの凛童舎です。僕が最も問題に思ったのは、このまま行くと世の中に社会を支える頼りになる人材はどんどん減り、指示待ち人間ばかりになるということ。でも、国はそれをあまり意識してないし、1番大きな問題は教育界もあまり意識してない。
教育の話になるとすぐ学校の話になるけど、その学校が終わった後の子供たちがどうしてるかっていうことを、先生たちさえ意識してなくて、これでいいのかなってずっと思ってます。

共働きで大変なこと

人口減少に伴う労働力不足と格差拡大社会の中で、自然に共働き世帯が増えていて、その中で吉岡さんがやってらっしゃるように民間の学童保育が必要になってくると思うんですけど、国からの保障ってどれくらいあったり、共働きが多くなっている中で大変なことをお聞きしたいです。

僕が1番問題意識を持つのは、今は少子化で子供が1人とか2人しかいないことが多い中で、子供が過剰に手出しされていることです。過剰に労われているし、親が過剰に習い事とかいっぱい詰め込んで教育しようとしてるんです。
しかも、お母さんがうちにいると、1人っ子だとずっと見られてるんです。「ちゃんと靴を履きなさい、紐をちゃんと結びなさい、ああしなさい、こうしなさい。」ってずっと言われ続けることになり、本当に指示待ち人間になってしまう。
「それだったらお母さん働きに行ってくださいよ」と思います。子供たちはもっと異年齢の疑似兄弟たちに揉まれて育った方が、頼りになる人材になりますし、お母さんもどんどん働きに出て社会性を身につけた方が子供たちにも良いと思うんです。
ただ、それを見守る学童保育スタッフはスキルアップが必要で、もっと給料を取れる仕事にしていかなきゃいけない。でも学校で人手が足りない、学童保育でなり手が足りないんだったら、一緒にすれば食える仕事ができるし、学校は秘書のようなスタッフがつけば先生が楽になるし、午前中4時間、放課後4時間ずつ働ければ8時間労働になる。
そういう仕事だったら一生の仕事としてついてくれる人も出てきて、どっちもハッピーじゃないかということで、ダブルワークの話を思いついて、今スタッフに実証してもらっています。

若者が定着しにくいという人材確保の課題

学童保育で働く人って比較的年齢層が高めだと思うんですけど、人材確保でどういう課題があるのか、またなぜ若い世代が定着しにくいんですか?

まず割と年齢の高い方々は、どちらかというと「子供なんて静かにさせときゃいいのよ」的な発想の方々が多く、若い人がいたとしても「そんないらないことしないで!」ということを言われてしまうことが多い。「あなたがそんなに一緒に遊んであげたら、私たちまで遊んであげなきゃいけなくなっちゃうじゃないの」とか、そういうプレッシャーを受けている。
20代、30代の人がいたとしても、結婚するとなると「この仕事で家族を養っていけるだろうか?」と思った時に1日5~6時間の仕事で、共働きだったとしても無理だという風に考える人が多くて、割と辞めていくんですね。
上の人に指図されて、子供たちにも「あれしなさい、これしなさい」って言わなきゃいけない仕事にあんまりやりがいを感じられない上に、将来的にも食っていける仕事でもなさそうだとなると、結婚をしようかなっていう35歳ぐらいになってどんどん辞めていく人が多く定着しない。若い人が定着しないがゆえに結局パートの中高年の人を雇うしかなくなって、その悪循環がずっと起きてるということだと思います。


若い世代の人を雇うことのメリット、またどういう良い影響が子供たちにあるのでしょうか?

年齢の高いパートの中には、その時間でやれって言われたことをやってればいいっていう人もいるんですよね。子供たちが放課後どう過ごせば頼りになる大人に育っていくかみたいな視点がなくやっているとか。
若い人がもし「これは一生やっていく仕事だ」と思ったら、いろんな勉強もするだろうし、理念的に考えていくと思うんです。「どう接するべきなんだろうか」とか、今言われている「DEI」( 多様性と公平性と包括性)の視点でも物を見るから、ちょっと悪さする子がいても「この子には何か少し、発達障害的なものがあるだけなんじゃないだろうか」とか「そのためにはどういう言い方をした方がいいだろうか」とか、一生の仕事だと思っていればいろいろ勉強してやっていくと思うんです。
でも、それがわからない人は「また悪さしてあなたは!」みたいになることが多い。それがずっと繰り返されて、いい職場、やりがいのある職場になっていかない。 雰囲気がギスギスしてたり、いつもどこかで誰かが叱られてる状態になって、叱られてない子まで心がささくれてきて、「あそこには行きたくない」とか「いたくない」となるのは、割とどこでも聞く話なんです。
「DEI(ディー・イー・アイ)」は、「Diversity(ダイバーシティ、多様性)」「Equity(エクイティ、公平性)」「Inclusion(インクルージョン、包括性)」の頭文字からなる略称です。企業経営において、社員それぞれが持つ多様な個性が最大限に活きることがより高い価値創出につながる、という認識が近年拡がりつつあり、DEIの取り組みが推進されています。
「DEI(Diversity, Equity & Inclusion)」とは?- Diversity, Equity & Inclusion – サステナビリティ – パナソニック ホールディングス

やっぱり、若い人材がいないっていうのは、学童保育全体の課題であったりするんですか?

そうですね。 長期的視点で物事を考える人が少ないので、「その場で怪我さえしなきゃいい」というような考え方で、その時間を問題を起こさずやり過ごすかみたいなことになっちゃってることが多いと思います。

「ペダゴー」のような存在が、学校と学童の未来を変える

教員免許を持つスタッフが学校で働いているということをお聞きしたんですけど、現在どのような形で学校と関わっているのか。また学校と関わる中で、学童保育ではどういう風に働かれているのでしょうか?

学校に入るには特別な入り方しかないです。例えば産休前補助という、お腹が大きい間、重い荷物が持てないとか、産休に入る前の2、3ヶ月、誰かもう1人クラスについていくとか、そういう枠組みがあります。あとは、登校拒否気味だとか、学習障害、発達障害など、何らかの配慮が必要な児童がいる学級の支援に2人目の先生として校長が教育委員会に申請するとそういう枠をもらえるとか、家庭科専業講師みたいな枠とか、とにかく何かアクロバティックな入り方をしないと学校には入れないようになっているんです。でも蓋を開けてみれば、その形でいろんな学校にそのスタッフは行ってるけど、結局学校や先生全体のお手伝いがほとんどと聞いています。
だとしたらそういう先生全体のお手伝いという枠を本来は作って、そこに将来的に学童保育の教員免許持ってる人を入れるみたいな形にしていったら、学校も学童も両方知った上で子供を長い目で見ていける。特に学校の先生って、結局担任1年間やってまた次は違う子じゃないですか。でも学童保育が楽しい場所なら6年生までずっといてくれて、6年間ずっと同じ子を見ていられるんです。そういう親でも先生でもない立場の大人の第3者を作っていくのはすごく大事だと思う。
デンマークの「ペダゴー」という職業をご存じですか?
学校では先生は授業をやる人で、生活とか悩み事を聞いたりするペダゴーという職業が、デンマークでは一般的です。大学に6年間行かないと取れない資格で、学校にも学童にもユースセンターにもいる立場の人がデンマークにはいるんですが、そういうものが必要になっていくんじゃないかなって思います。
特に今、保護者がすごく孤立してるじゃないですか。 子育てがすごくプライベートなものになって、「うちのことに口出さないでください」的な雰囲気がある。全く相談する場所がなくて、お母さん1人で抱え込んで悩んで、どうしようもなくなってから表沙汰になることがある。
「最近ちょっと元気ないですけどどうですか?」みたいな話をできる相手として、学校にも学童にも連続でいるみたいな人になっていけばいいのにと思います。学校側からしても先生の補助がいるじゃないですか。それに学童も今、労働時間が1日5時間、6時間しかないからそれだけで食べていくのは難しい。これを学校でも学童でも働くという形にすれば、学校でも学童でも保護者と関われる人が作れるので、その方向で動いていったらいいのにって思ってます。
ペダゴー(Pædagog)は、デンマークにおいて国家資格として位置づけられている、子どもから大人までの人の育ちと生活に寄り添う専門職です。
教育や福祉の現場で、人が生まれてから生涯を終えるまで、日常の時間と関係のなかに伴走します。
指導でも、支援でもなく、共にある在り方そのものを専門とする存在。
ペダゴーとは | 一般社団法人ペダゴージャパン|デンマーク発、人と〈共にある〉専門職ペダゴーの資格認定講座
感情、関係性、遊び、参加といった、人として育つ土台に日々働きかけていく実践が、ペダゴーの仕事です。

学校で何かすごい特別な入り方をしないと入れないとおっしゃっていたと思うんですけど、それってなぜなんですか?

世間は今のところ、必要ないと思ってるんじゃないですか。 まだ先生の秘書をあんまり必要だと思ってないかもしれません。でもブラックすぎて教員のなり手自体が減ってるじゃないですか。だから、今うちの学童保育のスタッフがいろんな学校に入れて喜ばれているのは、そういう補助的な人が必要だといろんな学校で思われているからだと思います。だったら国が、本物の教員はなり手が少ないんだったら先生のサポートのような人を入れてでも先生の仕事を楽にして、「サポート人員がいるんだったら先生やってもいい」ってなるかもしれないし、逆に言えば学童から入ってた人たちが「学校の方がやりがいある」ってなって先生専業になることだって起きると思うんです。
うち(学童クラブ凛童舎)で働いているスタッフは、学校に入ってかつうちの凛童舎でも働いています。でも、「凛童舎でも働きながら食っていけるようになりたいから学校にも行くんです」っていう考えです。「学校専業になりませんか?」って校長先生に言われるんだけど、「子供たちになにかを教え込むことに魅力を感じない」と言うし、今の学校の仕組みだと、先生も子供も大変になっていると、彼女自身強く感じているようでした。
例えば、今、親のクレームも、かなり学校には負担で「うちの子は○○だから××させないでください」みたいな苦情で、その子だけある係を「しなくてよい」ということになってたりするそうです。以前なら「全体の手前それはできません」と言って学校が突っぱねていたところ、今は筋が通らなくても、もうクレーム除けのために受け入れてしまう傾向もあるそうで、「そんなんじゃ、本当にやってられない、子供にも良くない」って。
校内の大規模学童クラブでは、大部屋に6人掛けの座卓が並んでいて、定位置にずっと座ってなきゃいけないとか、遊びの時間は何時から何時って決められているとか、放課後の生活や過ごし方として良くない。もっと子供自身の自己決定機会を増やして、せめて放課後くらい「今日は何々をする」という自己決定で過ごせないと、「自分の人生を生きてる感じがしない、そんな人生楽しいわけない」と言っています。
だからこそ、彼女はダブルワークを選んでるんだという風に言ってました。

学童保育のスタッフが学校に入ることを思いついたきっかけ

学童と学校のどちらの場面も見てるからこそ見えてくるものがありますよね。学校で学童保育のスタッフが働くというのは、私はあまり聞いたことがなかったんですけど、このアイデアはどういう現場感覚、どういう場面で生まれたんですか?

元々学校外に凛童舎のような少人数の学童クラブを、公共が学校内の公設大規模学童保育に使っている公費と同等額で成り立たせるのには何が可能かと思った時に、学童クラブは3時まで場所が空いているんだから、何かに使えないかなと思って、コミュニティカフェをやっていたんです。3時までコミュニティカフェを近所に開放して、近所のおじいちゃん、おばあちゃんとか、乳幼児を連れたママさんとかが集まる場所をやっていました。そこで、来てくれた方に「放課後手伝ってくれませんか?」ということをやっていました。今の子って、先生と親ぐらいしか大人を知らないでしょう。 それって全部とやかく言う人たちなんですよ。僕らが外で遊んでいた時は、利害の一切絡まない大人がそこら中にいました。そういうニュートラルに見てくれる大人たちと接する機会が今の子は少ないから、先生にダメって言われてママにも叱られてれば「俺ダメな子だ」ってなっちゃう。そうじゃなくて、もっとニュートラルな人たちと接するために、午前中コミュニティカフェに来てくれた人を午後の学童保育に週1回でいいから、ボランティアに入ってもらう仕組みを考えつきました。その意味では午前中もコミュニティカフェである程度収益が上がるという想定だったんだけど、全然収益が上がらず成り立たなくて、 別の方法はないかと思った時に、スタッフがもし1日4時間、5時間労働で食えないんだったら、申し訳ないけど「バイトしてください」って言ったんですよ。
そしたら、その教員免許を持っているスタッフには、そのバイトの一つとして「学校に入るってどうかな?」って思いついたんですね。 産休補助とかも足りてないと聞いて、ホームページを見たら募集があったから、うちのスタッフに「ちょっと行ってみたら?」と言ったら採用されたのでしばらくやってもらったんですよ。
そしたら、「午後もいてくれたら助かる」など好意的に言ってくれる学校がすごく多かったそうです。これが制度化されていったら学校も学童もハッピーになると思いました。これを広げていく方法をいろいろやってみて、国や教育委員会が動くところまでいかないかと思っているところです。

学校に入る難しさ

学童保育のスタッフが学校に入ることを広げていく上での難しさや課題は実感されていたりしますか?

学校現場はどこも「手が足らない。午前中だけどでも助かる」と思っているようですが、やっぱり、行政側にその切迫感がなく、そのための法の整備や仕組みづくりに腰を上げないようなのです。

行政側がいらないと思っているから、教育委員会も動きづらくて広がりづらい、広がる障害になっているという感じなんですか?

学校の方は「いてくれたら助かる」と思っていますけど、教育委員会が許している入り方があまりない。たまたま「うちの学校に産休補助が必要な女性がいたから呼ぶ」とか、「これは家庭科講師が必要だという名目だったら呼べるかな」とか、学校現場は、そういった「抜け道」を探して人手を何とか確保しようとしている感じですね。

学童支援員さんが入ることによって、「こういう支援ができている」というのはありますか?

テストの採点って教育免許を持ってなきゃできないみたいですよね。 その点、うちのスタッフは教員免許を持っているのでテストの採点とか。
あとは5年生の宿泊授業に付き合ってくれとか。そういう時に重宝されているみたいです。 荷物を運ぶとか、副担任的なこともやったことがあると言ってました。
ただ、学校でいろんな仕事をする中でも、やっぱり放課後が自己決定であることの価値というのは、彼女自身も感じているみたいです。

そこで学んだことが、凛童舎の生活でも活かせることってあったりするんですか?

あるんじゃないですかね。 学校はどう変わらなきゃいけないかっていうのもひしひしと感じているみたいですし。彼女は「学校のようなインプットの場所は必要だ」とは思っているようです。ただ、だからこそ、放課後まで学校の中で学校のように過ごすのは良くない。今度は自分から自由にアウトプットできる場でないとバランスの取れた人格にならないと感じているようです。

学童の支援員の収入とキャリア

では反対に、支援員さんとして入られている方々の収入面やキャリア面でどういう可能性を伸ばすことができていますか?

まず、先生の補助の方が時給が高いんですね。うちの学童は時給1400円くらいなんだけど、学校に入る時は週20時間という制限がありますが、産休前補助だったら時給2700円と言ってました。うちとは倍近く違う。だから給与面では、学校に行くことによって、学童の給料が安くてもサラリーマンの平均年収ぐらいは稼げる。
ただ、継続しないのが問題なんですけどね。時給は高いが3ヶ月契約とか6ヶ月契約で、別の職場(学校)を探さないといけない。安定しないという点では勇気が必要な生き方です。それを強いなければいけないのが気の毒。あとは子供の世界の実態が、全貌として見ていられる。学童のスタッフって、学校で何してるかあんまりよく分かってないんですよね。
でも、学校での子供たちの様子と、学童での子供の様子を両方見ることができる。遠くの学校だから同じ子ではないんだけど、「小学生ってこうなんだ」っていう全体像がイメージできるのは価値があると思います。

支援員さんの収入面や生活を維持していくためには、国がちゃんと制度として確立して、持続できるように、ぶつ切りにならないようにしていくことが必要ですよね。

そうですね。今、学童保育の団体などが、スタッフの給料を上げろって言うから、そういう団体が強い地域では、あんまり用事がないのに8時間労働にしているところもあるんですね。もちろん施設に1人くらいの管理職には必要な時間だと思います。でも、一般職員は、あまりやることがないのに午前中から仕事に行っているわけですよ。そうすると、いらんことをするというか「あの子はもっとこうだよね」みたいに、いろんな子のことをああだこうだ言ってみたり。小学生にはもう必要ないのに七夕飾りやクリスマス、ハロウィンの飾りなどを、保育園みたいに壁にペタペタ貼るもの作ってたり。
それは労働の水増しであって、決して子供たちのためじゃないと僕は思っています。そんなことするくらいなら、もっと学校に行って先生を手伝った方が子供のためになるって思いました。待遇改善という名目で1日8時間労働にしても、結局子供に過剰な手出しをするような構造を生んでしまっている。本当は子供たちは自分たちで育つ力があるのに、いろいろ手を出され、指示されてだんだん「人の言われた通りにしてる方が1番怒られなくていいや」とか「どうすれば怒られないか」みたいな価値観になってしまう。仕事がないのに8時間労働にするくらいなら、「学校に行って、先生を手伝ってあげてよ」って思ったのが1つのきっかけではありますね。
ペダゴーに学ぶ子供との理想の関わり方

教員と支援員さんは別の職業ですけど、どういう関わり方がそれぞれ子供にとっていい影響を及ぼせる存在になるのか、というバランスや理想ってありますか?

デンマークの「ペダゴー」という職業に近いと思います。ペダゴーの理念は「指導でも支援でもない、ただ共にいるだけ」なんです。上からでも下からでもなく水平の関係の大人として子供に寄り添うという。今、多くの学童でやられているのは指導になっちゃってるんですよね。「今宿題の時間だから、ああしなさい、こうしなさい、そこ片付けよう」とか、「今ここに座っててね」とか、指導になっちゃってるし。一方、「支援」というより、何でもしてあげる下僕のようなことになっているところもある。
だから僕が1番いいと思うのは、ペダゴーの「共にいる水平な関係の大人」、兄貴とか姉貴くらいの関係の大人という形で寄り添うのが良い。 学童の理念は「遊びと生活の場」という風になっているので、「遊んであげる」ってことを主義にしてる学童もあるけど、「子どもは自ら育つ力がある、子どもだけで交渉し合って遊ぶのが一番成長する」という昭和の放課後の再現が理念なので、大人が遊んであげるのもいらないと思っています。してあげていることといえば、たとえば、子供が冗談を飛ばした時に「それ面白いね」とか「今日のTシャツいいね」とか、そういう声をかけてあげる。「あなたに関心があるよ、でもいるだけだからね」という関係が1番いいと思ってます。

「選べる教育」の必要性

それが良いと思います。教員と支援員のどちらの立場も見られていると思うんですけど、それぞれに課題ってあったりしますか?

「学校でこれをやれば1番簡単なのに」と思うのは、僕自身がそういう小学校を出てるんだけど、成績表とテスト、宿題をやめる。成績をつけるのが苦痛だと先生はおっしゃるし、時間もすごくかかる。評価に対して親のクレームも入る。テストもするから、先生が教授力みたいなのを評価されるじゃないですか。「あなたのクラスの点数が低い」みたいにテストの点数で評価をされる。
でも、僕の小学校の先生はそれがなかったと思います。通知表も、科目ごとにランクはなく、200文字ぐらいの所見が毎学期書いてあるだけだったんです。「係の活動を頑張ってました」とか「すごく発言が多いですね」とか、そんなことが書いてあるだけだったから。
先生もすごく楽だったと思うし、授業も端折ってましたね。 「ここいいや」っていうところはどんどん飛ばして、その代わり「ここは面白いだろう」っていうところを重点的に教えていたから、印象に残っている授業がいっぱいある。子供も「全部覚えなきゃいけない」っていうプレッシャーがないから、面白いと思った時だけ熱中できて却ってその方がいろいろ覚えていた気がします。「知るって楽しい」と思えた。そういう好奇心をベースにした授業にしていけばいいのに、「全部覚えさせなきゃだめ」みたいになっちゃっていることは先生を苦しめていると思う。そこを変えるだけで随分違うと思うけど、変わらないですね。
僕が思うのはたとえば学校をA校とB校を分けて、「A校は宿題や成績表やテストがありません、B校はこれまで通りです、どっちの学校にしますか?」と、各家庭が学校を選べるようにすれば、先進的な考えをもってA校を選ぶ人とか「その方がのびのび過ごして結果として自発、自立した子が育つ」と思う人もイノベーター理論で言うと15%はいると思う。「この地域ではこの学校一択」という制度を変えるのが1番だと思っています。
有名な麴町中学の工藤校長の事例とか、大改革したけど、校長先生が変わったら元に戻っちゃったという話はよく聞くけど、それは親のプレッシャーだと思うんです。「なんでうちの学校はテストをしないんですか?これじゃあ大学受験の時どうなるかわかんないですよ」と保守的な保護者に言われちゃうと戻っちゃう。初めからA校、B校を選んだ上で「あなたA校を選んだでしょ」とか「あなたB校を選んだでしょ、だったらそれは選んだ責任があるでしょ」と言えるような、 教育システムに変えた方がいいと思ってます、台湾がそうですね。そしたら結果として、「なんだか知らないけどA校から出た奴の方が凛々しいぞ」みたいなことになっていけば世の中が徐々に変わっていくと思う。まず選択肢を作ることは大事だと思っています。
学童も、うちみたいなところを選ぶ人は15%ぐらいはいるんですよ。ただ、ほとんどの地域では、自治体が設置した学童保育一択だから、誰も深く考えない。ずるずると「学童が必要だったら学校の中の100人のところに入れるしかない」っていう思考停止が普通に起きてる。でも、うちみたいな第2選択肢ももっと各所にあったら、「どっちがいいのかな」「どういう放課後の過ごし方がいいのかな」と保護者も子供も考え始めると思うんです。
確かに学校の中の学童なら管理が強めで怪我しないし、外に一人で出る危険もないから安全。でも、「なんか覇気がないな」ってなっていくと思うんです。その中でだんだん「外の凛童舎みたいな方がいいぞ」って市民の声が変わっていった時に、世の中が変わっていくから。 まず学校も学童も選べる状態にするのが1番大事な、かつ簡便な改革だと思ってます。
イノベーター理論とは、新たな製品(商品・サービス)などの市場における普及率を示すマーケティング理論をさします。1962年にアメリカ・スタンフォード大学の社会学者 エベレット・M・ロジャース教授(Everett M. Rogers)によって提唱されました。
イノベーター理論では、新たな製品の普及の過程を、これらを採用するタイミングが早い消費者から順番に以下の5つのタイプに分類しており、これにもとづきマーケティング戦略や市場のライフサイクルなどに関する検討を行うことが望ましいと考えられています。
イノベーター理論をわかりやすく解説!【事例あり】 | コラム | 東大IPC−東京大学協創プラットフォーム開発株式会社
5つのタイプのうち、特にイノベーター(革新者)、アーリーアダプター(初期採用者)という課題・ニーズに敏感な段階の人たちの割合がだいたい15%前後と言われています。


確かに、自主性や主体性とか文科省は言ってるけど、実際求められているのは教育の成績重視みたいなものになっていたりするので、それをちゃんとあるべき形にしていくには、選択肢をちゃんと目に見えるように保護者とかに提示するのは重要だと思いました。

保護者が選んだ責任を持つようにしないと、気に入らないことは何でもかんでも学校に文句を言ってくる。それで学校が疲弊してしまっている。でも「あなたの選んだ学校でしょ」って言える仕組みにしたらそれもなくなってくると思うんです。「だったらB校行けばよかったじゃないですか?」「だったらA校選んでくださいよ」と言える状態にすれば、保護者も学校だけのせいにはしなくなると思います。A,B2校から指摘を受ければ「うちが我がままなのかも」って視点も持つでしょう。
学童保育の支援員が学校に入るのを実現するために必要なこと

学童保育が学校に入るのを実現するのは、今はまだ小規模かもしれないですけど、教員になりたい人が減る中ですごく必要だと思います。学童保育の支援員さんが学校に入ることを実現するために、これから何が必要になってきますか?

3ヶ月とか6ヶ月契約で契約解除、職探しにならない、せめて1年契約を繰り返せるような仕組みですね。そのためには産休補助とか特別な理由で入るんじゃなくて、ちゃんと「学校補助教員」みたいな正式な役割を持った専用の制度を作って、1年契約なら1年契約で更新ありで入れるようにしないといけないと思う。
今、学校現場がブラック職場って言われているじゃないですか。でも、午前中だけの先生って、そこまでブラックではないはずです。なら、まず試しに「午前中だけ先生やってみよう」っていう人なら増えるかもしれない。そういう意味で「教員が増える道筋でもありますよ」という形でプレゼンしていけば制度化してくれるかもしれない。特に東京都とか、先進的なことをやってくれるところがやってくれたら、他も追随するかもしれないって思います。
教育関係者へのメッセージ

最後に、教育関係者の方にメッセージがあったらお願いします。

東京都では高校の私学も授業料が無料になりましたよね。そしたら、都立が焦り出して頑張り始めたらしいんです。今まで行けなかった私立に行けちゃうなら、都立の価値がなくなっちゃうって。
僕、先生って3年に1回ぐらいで別の学校に異動しちゃうからいけないと思うんです。仲間意識が芽生えないし、 そこの地域や学校への愛着が生み出せないじゃないですか。でも私学の先生ってそうじゃないんですよね。私学の先生って「我が学校」とか「我が子供たち」みたいな意識を持っているから。そういう意味で、先生をやるなら私学に行ったらいいんじゃないかってすごく思うし、その意味で一般の公立も転勤しないみたいなことをやっていったらいいのになって。
T-KNITでも「その地域と繋がりなさい」って言ってるじゃないですか。それってその地域にずっといる先生じゃないと意味ないと思うんです。3年に1回別の地域に行っちゃう先生は、それほど頑張って地域と繋がろうとしない人も多いと思うので。転勤しない、せめて10年は転勤しないようにしないと、自分が学校をいかにすべきかみたいな先生同士の仲間意識も生まれないし、その土地や学校への愛着も生まれない。そこが公立学校の悪いところというか心やモチベーションをロスさせてる一因だと思うんです。

確かに、愛着から色々見えてくるものとかもあったりしますよね。

そう。 やっぱり「やりたい」と思う心が1番大事だから。勉強も、子供たちが「知りたい」と思う心を大事にしないと、ただ覚えなくちゃいけないやらされ感の中で勉強してるから、何も覚えてないですよね。先生も同じで、何かやらされ感の中で教えてるから、不毛な感じで、楽しそうじゃない。だから先生になりたいって人もいなくなってきてると思う。そういう心をどう育てるかは、すごく大事だなと思いますね。
あと、僕が子ども時代、放課後こそ、一番やりたいことができる子どもにとっての「本番」の時間帯でした。その時間帯が今、非常に窮屈でプアなものになっている。これではよい人材は社会に供給されなくなると思います。
だから、教育界の方々には「学校」だけが「教育」だと思わず「放課後」特に今や小学生の30%が通う「学童保育」の教育力欠如にも注目して欲しいというのが、私が一番、教育関係者に伝えたいことです。

ありがとうございました。 初めて聞く学童保育の話だったので、すごい勉強になりました。

はい。 ありがとうございました。 こちらこそ、気持ちよく話させていただきました。
